一度溢れ出した涙は、拭っても拭っても、なかなか止まってくれない。
嗚咽混じりの私を見かねたのか、桐谷くんは駅のコンビニでミルクティを買ってきてくれた。
また、そういうこと、する。
やさしくされるたびに私が悲しくなること、きっと気づいてない。
もう…限界。
「“大翔くん”…私、石原香奈だよ」
待合室、隣の席で、わずかに息を飲む気配がした。
*
4年前まではイシハラカナだった、私。
田舎町のごくありふれた小学生。悩みと言えば、ぽっちゃりした体型と、給食の牛乳が苦手なことくらい。
お父さんとお母さん、全学年合わせても90人足らずの、小さな小学校。それがすべてだった。
「なにかいてんの?」
「……!」
出会いは、小学校の校庭。2年生のとき。
今思えば、それがすべての始まりだったのかもしれない。
「ネコ?」
知らない男の子が、私の肩越しに、寝そべるノラ猫を見つめてた。垢抜けた、都会っぽい雰囲気のその子は、ふわふわの猫の背中をそっと撫でた。
「あ…にげちゃう…!」
「だいじょうぶだよ」
人に慣れているのか、猫は大人しくされるがままになってる。
「ねーそれみせて?」
「……やだ…」
慌ててスケッチブックを胸元に押し付ける。校庭に棲みついてる猫がかわいくて、描きはじめた絵。
誰かに見られるのは…恥ずかしかった。
次の日の学校で、男の子が“桐谷大翔”という名前で、東京っていう遠い町から引っ越してきたのだと、知った。
「今日もかいてんの?」
じーって、“ひろとくん”は興味深そうにこっちを見てる。昨日と同じ場所でスケッチブックを広げる私、と寝そべる猫。
「カナね、びじゅつクラブに入ってるの」
小学校には野球クラブと、ミニバスケットクラブ、美術クラブがあった。
美術クラブでは、週に2回、放課後、校内で好きなものをスケッチして、水彩絵の具で色づけする。
「へえ、オレは野球クラブに入るんだ!」
切れ長の目をキラキラさせて、彼は嬉しそうに、ニって笑った。
大翔くんは、私が絵を描いてると、よく遊びにきた。
といっても、二人で何かして遊ぶんじゃなくて。
とりとめのない話をしたり(給食で何が好きだ、とか、明日の体育楽しみ、とか、そういう話)
私が絵を描く傍らで、大翔くんは壁に向かってボールを打つ練習をしてたり、そういう感じ。
人見知りの私は、はじめこそ構えてたけど、打ち解けるのに時間はかからなかった。
絵を見たがるのは最初だけで、嫌がれば無理強いはしない。そんな彼への信頼は、少しずつ、だけど、着実に積み重なってた。
*
「ひろとくん、絵、できたよ」
猫の絵が、完成した。
野球のボールとグローブ、バットを持って私のところにやってきた彼に、思い切って言ってみた。
「え!?オレ、みていいの?」
大翔くん、信じられないって顔で目を丸くしてる。
「うん…いーよ…」
ホントはまだちょっと恥ずかしい。でも、大翔くんならいっか、って、大丈夫って、そう思えたから。
ハイって、スケッチブックを差し出した。
「…うわー…これ、ほんとにカナちゃんが!?……すごい……!」
「…おおげさだよ。カナ、じぶんがまだまだヘタだって、しってるもん」
「ううん、そういうんじゃない……。なんか…すごく……」
“あったかい絵”
私が初めて絵を見せたとき、彼はそう言って、太陽みたいに笑った。
きっと、一生忘れない。
自分が描いた絵で、感動してもらいたい。それは、私が絵を描き始めたときから、ずっと持っていたキモチで。
それが、はじめて叶った瞬間だったから。