第2章2





 それ以来、大翔くんだけには絵を見せるようになった。

 彼なら、下手でもからかったりしない、面白半分でほかの子に話したりはしない、そう思ったし、実際に彼はそんなことしなかった。

 

 

「先生、美術クラブの時間以外でも、放課後残って絵をかいてちゃダメですか?」

 

 5年生になって、もっと絵に力を入れたい私は、美術クラブを受け持っていた先生にかけあった。

 結果は二つ返事でオーケー。熱中できることがあるのは素晴らしいって。

 暗くなるまでに帰宅することを条件に、私はほぼ毎日、絵を描くようになってた。

 

 

「最近、絵、頑張ってんな」

 大翔くんは、部でレギュラーに選ばれて忙しくなっても、時々絵を見にやってきた。

 

「……ここから見る夕焼けが、キレイで」

画用紙には、丘の上の学校から見渡せる夕暮れの景色。

私の、生まれた町。

橙色に染まる家々は、いつも、私を優しく包みこんでくれる大切な居場所。

 

「普段は気付かないけど、この町にいっぱい、色んなものもらってるなぁって」

「うん」

「…大人になったらさ、みんな、この町を出て離ればなれになるかもしれないでしょ」

「…うん」

「でもね、ここならいつでも帰ってこれる。

辛いことがあっても、この町に戻ってくれば立ち直れる。…って、私は…思ってるんだ」

 

 照れくささに染まった頬は、夕日のせいにして。

 普段じゃなかなか言えないことを、打ち明けてみた。

 

 

「そういうのを……絵に描きたいなって」

 

 そう言った私に、彼は

「……その絵見たらきっと、みんな元気になれるな」

 

二ッて、あの時と同じ笑顔で、笑った。

 

 

 

 私の絵が、必要とされてる。それが何より嬉しい。

“待っていてくれる人”がいるから、もっといい絵を描きたいって思える。

 

 

 

 私にとってそれは、大翔くんだった。

 

 

 

 

 

 

コンコンって。ノックしたドアが乾いた音を立てた。

 

「失礼します…」

 

そっと足を踏み入れたら、ツン…と絵の具の匂いが鼻を掠める。画材がたくさん置いてある、個室。

白髪の混じる、長めの乱れた髪、たっぷりと蓄えた口ひげ、極めつけは、牛乳ビンの底を切り取ってきたみたいな、メガネ。美術クラブの先生がゆるりと顔をあげた。

 

「ああ、石原か。ここに来るのは珍しいな、どうした?」

「先生、私の描いたこの絵、見てくれませんか?」

手に持ってた大きい画用紙を差し出す。あれから1ヶ月かけて描きあげた、夕焼けに染まる町の水彩画。

例によって、でき上がってすぐ大翔くんに見せた。そしたら、美術のじーさんに見せてこいよって。絶対ビックリするからって、言われて。

 

「何でもいいんです。思ったこと、言ってください」

 

「……まあ、待ちなさい。今日の君は運が良い」

先生は、スルリと私の手から絵を抜き取って、しばらく無言でながめてた。

掘り出した化石が本物かどうか、見定めてる考古学者みたい。

あまりにも似合いすぎてて、プッて吹き出しそうになっちゃった。

 

 

5分、10分…、15分……、20分たっても、先生は絵と睨めっこしたまま。

真面目に見てくれてるのかな…。

 

 先生まだですか?って、喉元まで出かかった言葉は、ガラって、背後の扉が開く音で、奥にひっこんだ。

 

 

 

 

 

「アラ、だあれ?その子」

 

真っ先に目に付いたのは鮮やかな金髪。東京の、ど真ん中でもめったにお目にかかれないんじゃない?ってくらい、斬新なファッション。

 

「久しぶりの来日だから、二人きりでデートだと思ってたのに、先約かしら?」

口の端を持ち上げ、サングラスを外したその女性に目が釘付けになった。

如月響子。

美術界の有名画家。ずっと幼い頃から憧れてやまない、その人だったから。

 

「石原、彼女…如月のことは知っとるだろう?昨日までローマにいたんだが、3ヶ月ぶりにこっちに戻ってくると言うんでな」

って、先生、トモダチなの!?

「如月とは昔、仕事の関係で知り合ってな。こうして時々美術のことを話す仲なんだよ」

 ポカンって…開いた口、塞がらない。

 先生がさっき言った、“運が良い”ってこのコトだったんだ……。

 

 

 

「この子、あなたの生徒さん?」

「ああ、これがなかなか良い絵を描くんだ」

 二人が話してる間、私はソワソワして、落ち着かない。

 

「その絵は、彼女が?」

大物画家の手が、私の絵に伸びた。先生と同じように、無言でしばらく眺めて、そして――

 

 

「あなた、私の個展に出典する気はない?」

 

 

え!?って、耳を疑った。けど、彼女の表情は真剣そのもの。

 

「毎年海外で、個展を開いてるの。今年は来月、ローマで開くことに決まってる。そこに出展する作品を、今世界中を周って探してるのよ。」

「………え……あ、…はい…え……と」

「もちろん私の絵がメインなんだけど、プロ、アマ問わず、私が気に入った絵は、製作者の方に頼んで出させてもらってる。……あなたも、協力してくれないかしら?」

 そう言って、端整すぎる微笑みを浮かべた彼女には、ある種の妖艶さが宿ってた。

 

 断るわけがなかった。





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