第2章3





「じゃね、また夜に会いましょ」

先生にウインクして、響子さんは部屋を出て行った。

 

すごく、喉が渇いてた。身体中に汗をかいてる。でも不快ではなくて、むしろ青空の下で適度な運動をした後みたいな、爽快感。

 

「石原、おめでとう。プロの画家の個展に出させてもらえることなど、そうそうないぞ」先生は静かに言った「名誉なことだ。将来この世界でやっていきたいと思うのであれば、相当な強みになる」

 

「…先生…どうしよう……まだ、信じられない……」

 ごくって、唾を飲み込んだ。力いっぱい、ほっぺをつねってみる。痛い。夢じゃ…ない!

 

 大翔くんに、報告したい……!

 

 何度も何度も頭を下げ、お礼を言った。

「わしは何もしとらん。如月にお前の絵を推したわけでもない。お前が精魂込めて描いた絵が、みる者の心を動かした。それだけのことだ」

先生の、しわしわの口元に微笑みが浮かんでる。

 

失礼しました!って、今にも飛び上がらんばかりの勢いで出て行こうとする私に、先生は言った。

 

 

「石原……気をつけてな」

 

 

 

 

 

 

「大翔くんッッ!!!」

「うわっ!香奈ちゃん!どーだった?じーさんに褒められた?」

 血相変えて駆け寄る私に、大翔くん、ビックリ顔。

 素振りをしてたバットを置いて、Tシャツの袖で汗を拭ってる。

 

「あのね!…あのねっ…如月響子が!トモダチで!それで、世界中からっ…絵が個展に」

「待って、ちょっと落ち着いて。ハイお茶」

 

もー!はやく伝えたいのに、焦ってコトバが出てこないよ!

 大翔くんは、必死の形相の私に吹き出して。

水筒のお茶をコップに注いで手渡してくれた。

 

「あのね、如月響子、知ってるでしょ?たまにテレビに出てる」

「うん、あの、絵が上手くてキレ−な人だろ?……もしかして会ったのか!?」

「そうなの!先生が…友達だったみたいで」

「すげー!サインとかもらった?」

「あっ!」

 忘れてたぁ!会えたら絶対に…ってずっと思ってたのに!

 

「ち…違う、そうじゃなくて。えっと…私の絵、個展に出させてもらえることになったの!」

「個展?」

「すごい画家さんが、自分の絵を飾るんだよ、美術館みたいに。ろーまっていう国で、来月開かれるんだって!そこにね…私の絵も…飾ってもらえるの!」

「ろーま?……ローマって…イタリア!?」

 

 地理にウトい私は、“ローマ”がどこにあるのか全く分からなかった。反対に、大翔くんはそういうの、詳しかったから、そこは国じゃなくて、国の中にある地域の名前だって教えてくれた。すごく遠いところだということも。

 

「やったなー!有名な人だから、個展もテレビに出るかも!」

「うん…!それにね、個展には有名な画家さんたちが来るんだって!私もチケット、もらえたから…行ったら会えるかもしれない…。きっと…響子さんのすごい絵も、たくさん見られる!」

 

 舞い上がる私と一緒に、大翔くんは、スゲー!って、やったな!って、自分のことみたいに喜んでくれた。

 

 だから、このときは想像もしてなかった。

 

 まさか…あんなことになるなんて。

 

 

 

 

 

 

 全校集会で表彰された私は、たちまち学校の英雄になった。

 みんなが知っている有名人“如月響子”に、絵が選ばれた。その事実だけで、両親、クラスのみんなはおろか、他学年の子たちや、近所のおばさんまで、すごいすごいのオンパレード。

 

素直に嬉しかった。

 クラスの中でも地味で、目立たない私。

 発言も、行動も、いつもみんなに合わせてて。

 でも一つだけ、プロの画家になるってことだけは、1年生の頃からハッキリ主張してた。

 絵が得意なことが、私の唯一の自信。

 自分の作品が評価されて、人気者になって、嬉しくないわけがない。

 

 それに……

 

 

「香奈ちゃん、如月響子の個展に絵を出すって、すごいな」

「直くん…!…や、ホント、運が良かったって言うか…」

「それでも、実力がなきゃ選ばれないよ。俺、香奈ちゃんのコト、見直した」

「……!……ありがと…」

 

 江波直(えなみなお)くんは、美術クラブで、1つ上の6年生。

私が絵を描くきっかけになった人。

 1年生のとき図工室で、当時2年生だった彼の描いた絵をみて、感動して。

 私もこんなのが描きたいって、美術クラブに入った。

 

「ナオくんの絵、すごいじょうずだね!」

 って、興奮気味に言ったら、

 

「…ホント!?……ありがとう…」

 

 

 少し恥ずかしそうに、でも嬉しそうに。

 はにかんで笑った、彼。

 

その笑顔に、やられた。

 

 

 けれど、学年が上がるにつれて、大好きな直くんに、どう接していいのか分からなくなった。

 なんとなく、恥ずかしくて。いつも遠くから見つめるだけ。

 昔は仲良くできたのに。

 初恋は実らないってホントなんだなって、悲しかった。

 

 その彼が、話しかけてくれた。

 しかも、私のこと、見直した…って。

 緊張で大した会話はできなかったし、話しかけられたのもそれ1回きりだったけど…

そのコトバだけで十分だった。

 

 

 

 

だけど、現実ってそううまいことばかりじゃない。

絶好調の私にも、1つだけ気がかりがあった。

 

 大翔くんが…おかしい。

 初めて会った日から今まで、少なくとも週に1回は、私が絵を描いてるところに遊びに来てたのに。

 それがパッタリなくなったんだ。

 

「最近来ないね、どうしたの?」

って尋ねても、

「別に何も」

って、はぐらかされるだけ。

 

 私が何か気に障ることをしたから、避けられてる?

でも、心当たりがない。

 

「私、大翔くんに何かした?だったら言って」

「全然、何も。気にすんな」

 

 眉間にシワを寄せて、明らかに迷惑そう…。やっぱり怒ってるんじゃないの?

 教室でも目を合わせてくれないし、問いただせば「なんでもない」の一点張りで、すぐにフイって背を向けてどこかに行ってしまう。

 

これじゃラチが明かない。

 

 一番に気を許せる、友達だったのに。

 このまま、お互い関わらなくなって、終わっちゃうのかな…。ううん、そんなのイヤだ。

 大翔くんのことだから、無意味に私を避けたりはしない。絶対に理由があるはず。

 

 それをつきとめないと。

 

 そう思ってた矢先のことだった。

 

 

 

 

 

『じゃあ、大翔は美由なんだ?』

 

 聞いてしまったのは、偶然だった。





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