「その後は、桐谷くんも知ってる通り。私は学校に行けなくなって…退学。5年生の冬に、この町に引っ越したの」
待合室、二人並んで座り、前を向いてた。彼がどんな顔をしているのか、見えなかった。
見えないままの方が、好都合。
「もう分かってると思うけど、私、整形したんだ」
桐谷くんは、何も言わずに私の話を聞いてる。
「自分の外見が、ものすごく嫌になって……部屋から一歩も外に出られなくなったの。一回だけ、ムリヤリ外出したときは、気持ち悪くて…吐いちゃった。
みんなが…悪意を持って私を見てるような気がして。お父さんやお母さんにすら、こんな醜い子、ホントはいらないって…思われてるような気がして…。」
涙は、もうとっくに止まっていた。
「有名な精神科に通って、たくさん治療を受けた。それでも、症状は改善しなくて。
コレをやってみてダメだったら、もう諦めるしかないって、そう言われて、勧められた最終手段が…
“石原香奈を捨てること”」
顔と名前を変えて、別の人間として新しい人生をスタートする。
今までの人生は、なかったことにして…。
もちろんそんなこと、したくなかった。
だけど、当時の私が当たり前に生活するためには、この方法に懸けるしかなかったから。
やるしかないって、覚悟を決めた。
「改名って、けっこうカンタンにできちゃうんだよ。
家庭裁判所で、病院の診断書を見せて。裁判官の人たちで審議して、許可が下りたら、後は事務的な書類を書くだけ。
“椎名”はお母さんの旧姓で、“咲”はお父さんとお母さんが考えてくれた。
治療は成功して……時間はかかったけど、少しずつ外に出られるようになって。
笑えるようになって、絵も、描けるようになった」
我が子が突然、別人になってしまっても、昔と変わらず接してくれた、お父さんと、お母さん。
本当に、感謝してもしきれない。
二人のためにも、早く元気にならなくちゃって…思ったんだ。
鏡に映った、石原香奈じゃない、別人の私。
椎名咲は、すごくカワイイ顔をしてた。
変わらなきゃ…。そう思った。
外見が良ければ、もう夢を潰されることもないし、蔑みの視線を向けられることもない。
そして、私はtearに入会した。
“イイ女”になるために。
「今は、ほとんどフツウの高校生だよ。過去を思い出しても、ヘーキ。
昔みたいに怖くて震えが止まらなくなることも、悪夢にうなされることもなくなったし…。
でも…ごめんね。
桐谷くんにされたこと、もう吹っ切れたつもりだったんだけど…。こんな風に打ち明けちゃったってことは、まだどこかで根に持ってるのかな…」
分かってるのに。
こんな、誰かを恨んだり、憎んだりするキモチで、キレイになんてなれない。前にも進めないって。
「だからあの時、あんなに怯えてたのか」
「え…?」
ずっと黙ってた桐谷くんが、口を開いた。
「遠足で、ナンパされてた時。尋常じゃない震えだった。
あれは、男に悪意を持たれたから?」
「……うん…。今でも、男の人って苦手なんだ」
あの教室で…私に向けられたみんなの嘲る声が、フラッシュバックして。
ぞわって背中に悪寒が走って、怖くなる。
たぶん、またあんな目に会うかもって、無意識下で考えちゃうから。
「美術室にボール取りに行ったとき…
「…う…ん……」
「アレは、転入生の桐谷大翔が本当に“ 大翔くん”かどうか、確かめるため?」
「………」
「遠足にパリっこ持ってきたのは、俺がガキの頃好きだったって知ってたから。
それで俺の気をひくため…だったりして」
隣に座ってた桐谷くんが立ち上がった。
正面にまわられて、漆黒の瞳と、視線がぶつかる。
やっぱり。
逸らせない。
断定的な口調は避けてたけど、桐谷くんは全部、気がついてる。
私が自分で蓋をして、気付かないフリをしている、
私の中のキタナイ部分に。
桐谷くんの声は、あの頃よりずっと大人っぽくて、低い。
なのに鋭くて、考えてることすぐ分かっちゃう、そういうとこは昔から変わってないんだね。