第3章2





 7月は半ばを過ぎ、期末考査も終わった。

 日に日に増してくる暑さとともに、皆が夏休みを意識し始めて。

なんとなく教室内が浮かれ始める頃。

 

 

白い、握りこぶし大のボールが、バットの真ん中にヒットして、グングン空に向かって伸びる。それはもう、見てて気持ちいいくらいに。

 

「やるじゃん!桐谷くん」

 私の隣で試合を観ていた杏奈がはやすように呟いた。

 14組側の応援席からワッと歓声が上がる。

 

 球技大会。

 ウチの高校では割と大きなイベントで、毎年、男女別のクラス対抗で行われてる。

 その名の通り、学年別に球技の試合をして、優勝クラスを決める、大会。

 これがけっこう盛り上がるんだ。1ヶ月以上前から自分が出る種目の練習をしてる人もいた。

 

 

「やー!あそこで打っちゃうなんて、桐谷くん、ヒーローだね」

「だよなー…大翔、そういうことサラっと出来ちまうんだよな」

 杏奈の隣には、当然のように麻生くんが立ってて、ウンウンって、しきりに頷いてる。遠足の日以来、彼は何かと私たちに絡んでくるようになった。

 

男子ソフトボールの試合。9回裏、234組はリードされてて。なんとか流れを変えなきゃって思いつつも、このまま負けるかなって、クラス全体が諦めムードになりつつあった。

そこからの、2ランホームラン(味方の1人が塁に出ている時にホームランを打って、一気に2点入ることだって、麻生くんが教えてくれた)だもん。まさに、クラスの英雄って感じ。

1周してホームに戻ってきた桐谷くんのまわりには、あっという間に人だかりができてしまった。

 相変わらずポーカーフェイスで、皆のハイタッチに応じてる。

 

「あんなチヤホヤされても、全然チョーシに乗ったりしなくてさ。大翔って、カッコつけようとしてないのにカッコついちゃうんだよなー。ホント、羨ましい」

一部始終を眺める麻生くんの顔には、純粋に羨望だけが乗ってた。

「カッコつけようとしてないのが余計にカッコよさを煽るんでしょ。アンタは桐谷くんと同じ状況になったら、舞い上がるタイプだもんね」

「あーほんと、西野さんのおっしゃる通りです〜」

 

 わざと冷ややかな声で言う杏奈に、麻生くんはブスっとして唇を尖らせた。

 杏奈と麻生くんって、なんか…いいな。男女としてじゃなく、友達として合ってる。二人ともノリがいいからかな?傍で見てて面白い。

 

「おっ、大翔オツカレー」

 人だかりから開放されたのか、桐谷くんが額の汗を拭いつつこちらに向かってきた。あちぃーって、手に持ってたペットボトルの蓋を取り、一気に飲み干してる。

 形の良い唇をペットボトルにつけて、喉仏が規則的に上下して…

 

 なんとなく、ぼーっと眺めてたら、バッチリ目が合っちゃった。

 うわ…気まずいっ…!

 頭で考えるより先に、視線は勝手にあさっての方へ向いてしまう。

 

あーあ…また、やってしまった…。

 

「さすが野球部ねー。見直したわよ!」

 杏奈はバシって彼の肩を叩き、茶化してる。

「野球やってんのにあの場面で何もできねえのはマズイだろ?」

 

 ホントかな…。桐谷くんは苦笑混じりにそう言うけど…。

さっきは、そんなこと考えてるようには見えなかった。

 

打席に立つ桐谷くんは、緊張とか不安とか、そういうのとは無縁そうな、涼しい顔をしてて。

ひとたび相手ピッチャーが振りかぶれば、一瞬で目の色が変わって……獲物を狙うヒョウみたいに鋭い眼差しで、カンタンにボールを捉えた。

 

 

「じゃあ俺ら行くな。次、西野さんバスケでしょ?応援してるよー」

ニッて、笑顔で麻生くんが言った。

「ありがと。どーせなら派手にやっちゃって」

「りょーかーい」

 連れ立って校舎の正面入り口へと向かう桐谷くんと麻生くん。

 杏奈は笑顔で二人を見送ったのに、私は…目を泳がせつつ無言で手を振るのが精一杯だった。

 

 

「ねぇ咲、そんなんじゃ、まわりに変に勘ぐられちゃうよ?」

「……分かってるよ…」

 分かってるけど、どうしてもフツウにできないんだもん。

「ま、初チューまで奪われちゃったんじゃ、しょーがないか」

「ちょっ…!声大きい…!」

 ニヤニヤしてる杏奈の口を手で押さえ、慌ててあたりを見回す。グラウンド、まだ人が残ってるのにっ…。うう…やっぱこれは話すべきじゃなかったかな。

 

 あの台風の日から、もう半月も経つのに…私は未だに桐谷くんと目を合わせられないでいる。

 

「せっかく向こうがフツウに接してくれてるのにさー。咲がそんなんじゃ、傷つくんじゃない?」

「う……でも…」

「初めては王子が良かったって?」

「なッ…!別に私は、そんなこと…っ!」

 

キスのことは、自分でも驚くほど気にならなかった。

確かに、先輩とがいいなって思ってたのは事実。だけど…桐谷くんにそういうこと、されたからって…私が先輩を好きな気持ちは変わらないから。

 

「桐谷くんといると、落ち着かないの…」

「落ち着かない?」

「うん…。何考えてるか分かんなくて…」

「……そりゃ咲のことスキーって考えてるんでしょーよ」

「ちょ…っ!」

 杏奈の歯に衣着せぬ物言いに、私はまたもや、ワタワタと彼女の口を塞ぐハメになった。

 

「でもさ、桐谷くん、真剣だと思うよ。避けられてても今までどおり接してくれてさ。普通ならとっくに諦めてるよ?」

 杏奈はいつもこうやって、自分の意見を隠さずに言ってくれる。その他大勢の子たちみたいに、友達のご機嫌取りなんてしない。

 そういうとこ、大好きだけど……今は、耳が痛いなぁ。

 

 

「咲はもう桐谷くんのコト、赦してるんでしょ?だったらそろそろ避けるのやめたげなよね〜」

 

それだけ言い残して。

バスケの試合のアップがあるからと、茶髪の後姿は体育館の方に遠ざかって行った。





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