「今から試合?」
「ひゃっ!……あ…先輩…」
体育館の近くの自販機で飲み物を買ってたら、突然真後ろから声が聞こえた。
「あ…驚かせてごめん。咲ちゃんが一人でいるの、珍しいね」
「今から杏奈がバスケの試合なんです。コレは…飲み物持ってこなかったって言うから差し入れに…」
買ったばかりのペットボトルを軽く掲げる。先輩は、ああ…って納得したように頷いた。
杏奈といっしょにいる時に、何回か先輩と会ったことがあるから、分かったのかな?
「今日、かなり暑いから…飲み物なしじゃキツいよね」
「ホント。杏奈、普段スポーツなんてしないから、そういうの分かってないんですよ。あ!でも運動神経は抜群で…今回の球技大会も、皆に頼まれてバスケとバレー掛け持ちしてるんです」
「へえ…すごいね。なのに運動部には入らないんだ?」
「そうなんです…。勿体ないですよね。色んな部から誘われてるんですけど、キツい練習より遊びたいからって一言でバッサリ。諦めきれない人から、私からも説得してくれって頼み込まれたこともあるんですよ。それくらい、引っ張りだこで――」
クスクスって、控えめな笑い声が聞こえてきて、はって気が付いた。
しまった…!私、つい夢中に…。
「すみません…。先輩、今から体育館で試合ですよね」
「いや、早めに来たからまだ大丈夫」
にこって、優しい笑み。
「仲良いんだね、友達と」
「え?」
「いつもそんなに口数が多いほうじゃないでしょ。その咲ちゃんが、珍しく饒舌だから」
先輩は微笑ましいなって顔をしてる。
でも、気のせいかな…?……ちょっと、寂しそうに見えた。
ダメだなあ…私…。先輩といると話しやすくて、つい自分ばかり…。
聞いてもらうばかりじゃなくて、先輩の話も聞きたい。
何でもいいから、先輩の思ってること、話してほしい。
「じゃ、そろそろ行こうかな」
「ハイ!試合、頑張ってください」
「咲ちゃんも。体育館は暑いから、観戦だけでも水分はしっかりとってね」
熱中症とか心配だから。って、爽やかな笑顔でそう言い残すと、先輩は体育館の中に消えた。
先輩はいつも人のことばっかり。
私が同じ部の後輩だから、気にかけてくれてるの?
もし…それが別の人だったら……やっぱりその人に、私と同じように、優しくするのかな…。
体育館でアップ中の杏奈を探し、休憩のタイミングを見計らって近づいた。
「杏奈、コレ、差し入れ〜」
「わ、ありがとー!買ってきてくれたの?ココすっごい暑いし、やっぱ飲み物ないとキツいわー」
「当たり前だよー。真夏に飲み物ナシでバスケなんて、ありえないよ?」
「ハイハイ。これからは気をつけます」
口調はアレだけど、杏奈は嬉しそうに華やかな笑顔を見せてくれたから。
試合、頑張ってねって手を振った。ピーって選手集合の合図の、笛の音が鳴る。
瞬間、杏奈の顔が耳元に寄せられて。
彼女がいつもつけてる、コロンの甘い香りが鼻を掠めた。
「王子、あっちのコートの隅っこで練習してるよ」
ウチのクラスの試合ばっかり観てなくてもいいんだからね!
小声で言って、イタズラっぽくウインクした杏奈は、走ってコートの中央に整列した。
ホント、杏奈には適わない。
杏奈の応援をしつつ、周りにバレない程度に、ちょっとだけ先輩の方を伺ってみる。
小学生のときにバスケットをやっていたらしい先輩は、普段の柔らかな物腰からは想像もつかないくらい、俊敏だった。
色素の薄い、サラサラの髪が揺れて、鮮やかなフェイントでディフェンスを抜き去り、シュート。
ボールはキレイな弧を描いて、吸い込まれるみたいにゴールの輪を通り抜けた。
初めて見た、スポーツしてる先輩。
絵を描いてるときとはまた違う、真剣な表情…。
知らないうちに、見とれてしまってたみたい。
ぽんって肩を叩かれて、わっ!って、大げさに反応しちゃった。
「あ、ごめんね。驚かせるつもりじゃなかったんだけど」
同じクラスの、女の子たちだった。
今日はこういうの、多いなあ…。
「咲、独り?一緒に試合観よーよ」
「あ、ウン。ありがとう」
気を遣ってくれてる…?ううん、それでも…嬉しい。いつも杏奈と二人だと、こういう時、どうしていいか分からないから。
応援をしつつ、他3人の会話を聞いてた。
女子にはグループがあって、普段一緒にいない子たちとの会話って、ちょっと難しいんだ。
ここは聞き役に徹しようって、そう思ってたのに。
「ね、咲って、王子と仲良いよね!」
「え!?」
いつの間に先輩の話になったんだろ?急に話を振られて、とっさに言葉が出てこない。
「同じ美術部じゃん?」
「あ…う、うん」
「いーなー!アタシ美術とか興味ないけど、王子に毎日会えるなら入部したい!」
あたしもあたしもーって、他の二人が相槌を打つ。
「さっきそこでバスケしてるの見てたんだけど、もう、ちょーカッコイイの!」
「ねー文化系の印象だったのに、スポーツもできるんだもんね〜!またポイント上がっちゃった」
「性格もめちゃくちゃ優しいって噂だし、パーフェクトだよね」
勝手に盛り上がっていくクラスメイトを、ボーっと眺めることしかできない。
先輩は、モテる。
“王子”なんて呼ばれちゃうくらいだから当然だけど、しょっちゅう告白されてるみたい。
きっと、狙ってる人、たくさんいるんだろうな…。
今だって、練習してる先輩目当てで体育館にきてる女の人、何人かいる。
目立たないところで先輩のこと見て、色めき立ってるの、遠くから見たらすぐ分かっちゃう。
やだなあ………。
胸の奥、モヤモヤして…どす黒い澱が溜まってくみたい……。
「咲さぁ、王子と付き合って…は、ないよね?」
私に尋ねる三人の目は、真剣だった。
どうして…そんなこと聞くの…?
「そ…そんな!まさか――」
「話し中に悪い。ちょっといい?」
低い声が、私の声を遮って。
振り返ったら、心臓が口から飛び出すかと思った。
最近ずっと避け続けてた人が、目の前に、立ってたから。
「椎名さんにちょっと急用なんだけど」
「あ、どーぞどーぞ。こっちはそんな大した話じゃないし」
ねって、顔を見合わせ、愛想笑いをする女の子たち。恋愛の話って、あんまり男子には聞かれたくないものだ。
それより急用って…なに?私、何かした?
状況が、まったく飲みこめない。
大きな手に、腕を掴まれて。
なにも言えないまま…体育館から連れ出された。