次第に夕焼け色に染まっていく帰り道を、杏奈と肩を並べて歩く。
夏真っ盛り。
夕方だというのに、外にいれば汗が滲んでくる。
セミがひっきりなしに鳴いていた。
「咲…」
「ん…?」
「やっぱ、海…行かない?」
「えっ…まだ諦めてなかったの…?」
杏奈は自分がこうするって思ったこと、絶対曲げない。
その根気を、勉強にもちょっとだけ使えばいいのに。
「いいじゃーん!ケチ。やっぱ、怖いから?」
「……うん…」
夏の海は苦手。
どうしても、ナンパとか、軽い人たちばかりが来ているイメージがあって。
私は杏奈みたいに上手くあしらえない。
私が絡まれてると杏奈は相手に怒って、余計こじれちゃうし。
「…じゃあさ、桐谷くんと麻生くんも連れて行こーよ」
「は?」
そんな人たちばかりじゃないのにーって、ブツクサ文句を垂れていた彼女が、突然名案だ!って目を輝かせた。
「4人で行くの。麻生くんはともかく、桐谷くんの冷静さは頼りになるじゃん」
確かに。頼りになる。
遠足のときにも一度…助けられた。
「でも…そういう目的で連れて行くのってすっごく失礼なんじゃ…」
「分かってるわよ〜。だから交換条件で、セクシーな水着、着てあげよーよ」
「はあ?イヤに決まってるでしょ!」
何を言い出すかと思えば…。
杏奈の辞書には恥じらいって言葉、ないんだ!
水着なんて…できることなら一生着たくない。
そりゃ昔に比べればまだマシだけど…、見せられるような身体じゃない。
杏奈のプロポーションがスゴすぎるだけに、気が引ける。
「そっかー…やっぱダメか…」
杏奈は珍しくしゅんと項垂れている。
彼女のことだから、てっきり食い下がるだろうと思っていたのに。
完全に肩透かし。
そんな落ち込んだカオ、しないでよ…。
「あの…杏奈ゴメンね…?」
「ううん、いいの。私こそ無理に誘っちゃって…ゴメン」
力なく微笑んだ杏奈は、本当に残念そうだ。
しばらく黙ってみるけど、話し出す気配…ない。
わ…私さえ海、行ければ………。
「……あの…桐谷くんたちがオッケーしてくれて…水着着なくていいなら…いい…かな」
「え…?」
杏奈がちらっとこっちを見た。ちょっとだけ明るさが戻ってる。
「ホントにいいの…?咲…」
「う……うん」
「やりーーい!!早速男二人にも連絡してみるねー!」
さっきまでのしおらしさはどこへやら。
水を得た魚のように杏奈が飛び跳ねた。
もしかして…ううん…もしかしなくても……
私、ハメられた…!?
「ちょ…杏奈…」
「なあに?イマサラ取り消してって言ったってダメだからね?」
キレイな悪魔はにっこりと黒い笑みを浮かべてる。
やられた…。
杏奈が頼みごとをするときの常套手段。
押して押して押して押しまくって、最後に引く。
昔はよくコレに騙されたものだ。
最近めっきりなくなってたから、油断したぁ…。
でも、上機嫌で口笛を吹いてる彼女を見たら、まあ一度くらいならいいかって気分になってくる。
私もいい加減、杏奈に甘いんだよね…。
「ね、杏奈…、どうして…私のこと好きになってくれたの…?」
初めて杏奈に会ったときの私なんて、根暗で、ネガティブで、臆病で…。
好きになる要素なんて…なかったと思う。
「んーまあね、最初は変な子だと思ったけどさ」
人気のない、細い道で立ち止まって。
夏の空を彩るオレンジ色を仰いで。
杏奈はポツリポツリ、話してくれた。
咲が…過去を話してくれたこと、あったでしょ。
外見だけを理由に裏切られて、傷つけられた…って。
その話を聞いたときは…本当に腹が立ったわ。
どうして何も悪くない咲が、学校に行けなくならなきゃダメなのって。
あの時は、咲を自分の境遇と重ねてたの。
だから、tearに登録してるって聞いたときは…この子もいずれ復讐することを望んでるんだと思った。
あたしがそうであるように咲も。
だけど…アンタは、言ったよね。
―――今は…あんなことをされたのが悔しくて、仕返ししてやりたいって思ってる。
でも…誰かを憎みながらキレイになるなんて……悲しい。
絶対に間違ってる。
………だけど、私、汚い……ダメだって分かってて…tearに…入会したの…!
って。
あの時…あたしが泣いたのは、自分がイヤになったからよ。
同じ境遇でこんな風に考えられる人もいる。それなのにあたしは、復讐っていう選択肢に喜んでとびついた。
咲は全然汚くなんかない。
間違ってると分かってても、その選択に縋りつかないと、生きてられないときもあるのよ。
なのに咲は…これ以上ないくらい弱りきってるクセに…
自分の中のダメな部分と向き合って、戦おうとしてた。
すごく、きれいだった。
あたしもこんな風になりたいって、尊敬しちゃった。
「その時からかな、咲のこと好きなの」
あたしは全部分かってたのに、結局今日まで過去をふっきれなかったけどねーって。
杏奈はカラカラと笑った。
「じゃあ、私と一緒だよ」
「え…?」
「私も杏奈のこと、尊敬して、憧れてたもん」
少しだけ夜の涼しさを含んだ風が、ふわりと髪を撫ぜる。
今度は杏奈がポカンと口を開けて固まる番だった。
「杏奈はさ、いっつも前向きで、明るくて、面倒見がよくて、しっかりしてて…
見てるだけでこっちまで元気になれるの。
……私もそうなりたいって…ずっと思ってたよ?」
カンペキすぎて、
近くにいたのに…悩んでることに全然気付けなかったくらい。
さっき海に誘ってくれたのだって、そう。
私が怖気づいて踏み出せない一歩。
杏奈はたやすく飛び越えていく。
やってみればいいじゃん!って笑って。
“できないかも”なんて悩まない。杏奈は絶対に諦めないから…。
諦めなければ、もう残りは“できる”しか…ない。
ふと彼女を見ると、キレイな顔が珍しく、真っ赤だった。
なんか…可愛い。
笑ってしまいそうになるのを必死で堪える。
「まったく…アンタは本っ当にまっすぐなんだから」
「ハイハイ、照れ隠し」
「違うわよ」
即座に否定した杏奈は、満足そうな笑みを浮かべている。
「予想はしてたけど…同性から告白されたのにまったく動じないなんてね」
フツー気味悪がるでしょ。
「え、何て?最後のほう、聞こえなかった!」
「何でもありません〜。ホラさっさと帰ろっ」
ゆっくり歩いてたらすぐ暗くなるよって、
前を歩く親友は、私を急かした。
私がまっすぐ進めたのは、杏奈がいてくれたからだよ。
独りだったらきっと、間違った方向に迷い込んでた。
何度あなたに背中を押されただろう。
自分だけで重荷を背負って歩くのに疲れたら、誰かと分け合えばいい。
いつかゴールに辿り着いたとき、そんなこともあったねって
笑って思い出話ができるように。
辛かった記憶も、あなたとふたりで背負えば、懐かしい思い出に変わるんだよ。