第5章3





 昔のことにこだわってるわけじゃない。

 桐谷くんを知れば知るほど、アレは何かの間違いだったんじゃないかと思えてくる。

 

 彼が、あんな酷いことをするなんて。

              

 好きだと言われて、少しも心が動かなかったと言えば、嘘になる。

 再会した桐谷くんは、無口だけど優しくて。

 私のことを気に掛けてくれて、助けてくれる。

 

 冷静で、合理的で、あんまり感情を表に出さない。

 だけど、過去に私を陥れたこと、きちんと謝ってくれた。

 遊園地で絡まれているところを助けてくれた。

私の絵を雨から守ってくれた。

 泣きたいとき…そばにいてくれた。

 

 桐谷くんといて落ち着かないのは、単純に彼の気持ちを知っているからだけじゃない。

 私にも、少なからず…同じ気持ちがあるから。

 

 なのに…私はずるい。

 

 もし、彼の気持ちを受け入れたら、またあんな目に遭うんじゃないかって。

 

 “信用するな”

もう一人の私が牽制する。

 幼い頃のように、また裏切られたら、もう今度こそ立ち直れない…かもしれない。

 

 信じることが怖い。

 だから、不安因子は見て見ぬフリをする。

 

 

 手に入れなければ、失って悲しむこともない。

 こちらから歩み寄らなければ、離れられて傷つくこともないんだ。

 

 …このままで、いい。

 

 

 いい…はずなのに……

近くの定食屋で夕飯を食べて、別荘に戻ってからも。

次の日、砂浜で遊んでるときも、帰りの電車の中でも、

 

 桐谷くんの俯いた横顔が、脳の裏側に張り付いて…離れてくれなかった。

 

 

 

 

「あ、今ちょうど帰ってきたみたい。代わるわね」

 

 最寄り駅で下車し、家に帰りついたのは、すでに日が傾きかけた頃だった。

 玄関のドアを開けると、リビングからお母さんの話し声がする。

 

「おかえり。良いタイミングね。今あんたに電話、繋がってるの」

「電話?ケータイじゃなく…家電にかかってきたの?」

「そうなの。お母さんもちょっとおかしいと思ったんだけど…。ホラ、小学校の、美術クラブのときに1つ上の学年にいた……江波直くんよ」

 

「え…?直くん?」

 なんで…。

「なんだか込み入った話みたいよ。咲に伝えようかって言ったんだけど…大切なことだから、本人と話させてほしいって…」

 

 大切なこと…?

 小学校時代、特に高学年になってからは、同じクラブに所属していても話すことなんて…ほとんどなかったのに。

 心当たりが全くない。

 

「はい、代わりました」

 だからといって、あまり待たせるのも悪いから。

 とりあえず電話に出てみる。

「あ…香奈ちゃん?江波です。久しぶり」

 4年前よりもずっと低くなっているけれど、それは確かに懐かしい直くんの声だった。

 ……そうか、直くんにとっては、私はまだ“香奈”なんだ。

「久しぶり。どうしたの?突然…」

 年上でも、田舎の小学校では敬語なんか使わない。

 直すのもおかしい気がして、昔のままのタメ口で話す。

 

「うん…今は電話だから、とりあえずの要件だけ言うね。

 実は、どうしても、キミに話しておかなきゃならないことがあるんだ…」

「はあ…」

「本当に急で申し訳ないんだけど、なるべく早く会って話せないかな?」

 

 会って、話す…。

 それは不可能だ。

 私はもう、香奈じゃない。

 外見が変わりすぎてしまってる。

 小学校時代の知り合いに会って、香奈だと信じろという方が難しい。

 

「…会うのは…ちょっと………今電話で話すのじゃダメなの?」

 それに昔の初恋の人に、整形しました、なんて言いたくないよ…。

 

 だけど、直くんの返事は頑なだった。

「直接会って話したい。本当に大事なことなんだ」

「……」

 

 受話器越しに、どうあっても譲らないって雰囲気を感じる。

 このままじゃ埒が明かない。

 ふう、と一つ息をつき、心を固めた。

 これだけ食い下がるんだから、直くんにとって…本当に重要なことなんだよね。

 

 

「……分かった…」

 外見を変えたことを手短に話す。

 驚かれはしたが、直くんの態度は変わらなかった。

 明日の昼、私の住む町の一番大きな駅で待ち合わせることに決め、電話は切られた。

 

 今の直くんが小学生のときの彼のままだったら、秘密が口外されることはないはず。

 若干の不安はあるけど……。大丈夫…だよね。

 

 彼の住所は昔のまま、変わってないって言ってた。

 この町に来るには、どう頑張っても3時間はかかる場所。

 電車代もバカにならないし、中間地点で会おうよって、提案したんだけど。

 俺の用事だからと押し切られ、結局直くんが足を伸ばしてくれることになった。

 

 

 誠意のあるその態度に、私は安心しきっていて。

 久しぶりに会う直くんは、どんな風になってるかなーってのん気に想像してた。

 

 肝心の“大事な話”が何なのか…なんて、考えもしなかったんだ。





 面白かったらぽちっと
↓とても励みになります
web拍手 by FC2

inserted by FC2 system