昔のことにこだわってるわけじゃない。
桐谷くんを知れば知るほど、アレは何かの間違いだったんじゃないかと思えてくる。
彼が、あんな酷いことをするなんて。
好きだと言われて、少しも心が動かなかったと言えば、嘘になる。
再会した桐谷くんは、無口だけど優しくて。
私のことを気に掛けてくれて、助けてくれる。
冷静で、合理的で、あんまり感情を表に出さない。
だけど、過去に私を陥れたこと、きちんと謝ってくれた。
遊園地で絡まれているところを助けてくれた。
私の絵を雨から守ってくれた。
泣きたいとき…そばにいてくれた。
桐谷くんといて落ち着かないのは、単純に彼の気持ちを知っているからだけじゃない。
私にも、少なからず…同じ気持ちがあるから。
なのに…私はずるい。
もし、彼の気持ちを受け入れたら、またあんな目に遭うんじゃないかって。
“信用するな”
もう一人の私が牽制する。
幼い頃のように、また裏切られたら、もう今度こそ立ち直れない…かもしれない。
信じることが怖い。
だから、不安因子は見て見ぬフリをする。
手に入れなければ、失って悲しむこともない。
こちらから歩み寄らなければ、離れられて傷つくこともないんだ。
…このままで、いい。
いい…はずなのに……
近くの定食屋で夕飯を食べて、別荘に戻ってからも。
次の日、砂浜で遊んでるときも、帰りの電車の中でも、
桐谷くんの俯いた横顔が、脳の裏側に張り付いて…離れてくれなかった。
*
「あ、今ちょうど帰ってきたみたい。代わるわね」
最寄り駅で下車し、家に帰りついたのは、すでに日が傾きかけた頃だった。
玄関のドアを開けると、リビングからお母さんの話し声がする。
「おかえり。良いタイミングね。今あんたに電話、繋がってるの」
「電話?ケータイじゃなく…家電にかかってきたの?」
「そうなの。お母さんもちょっとおかしいと思ったんだけど…。ホラ、小学校の、美術クラブのときに1つ上の学年にいた……江波直くんよ」
「え…?直くん?」
なんで…。
「なんだか込み入った話みたいよ。咲に伝えようかって言ったんだけど…大切なことだから、本人と話させてほしいって…」
大切なこと…?
小学校時代、特に高学年になってからは、同じクラブに所属していても話すことなんて…ほとんどなかったのに。
心当たりが全くない。
「はい、代わりました」
だからといって、あまり待たせるのも悪いから。
とりあえず電話に出てみる。
「あ…香奈ちゃん?江波です。久しぶり」
4年前よりもずっと低くなっているけれど、それは確かに懐かしい直くんの声だった。
……そうか、直くんにとっては、私はまだ“香奈”なんだ。
「久しぶり。どうしたの?突然…」
年上でも、田舎の小学校では敬語なんか使わない。
直すのもおかしい気がして、昔のままのタメ口で話す。
「うん…今は電話だから、とりあえずの要件だけ言うね。
実は、どうしても、キミに話しておかなきゃならないことがあるんだ…」
「はあ…」
「本当に急で申し訳ないんだけど、なるべく早く会って話せないかな?」
会って、話す…。
それは不可能だ。
私はもう、香奈じゃない。
外見が変わりすぎてしまってる。
小学校時代の知り合いに会って、香奈だと信じろという方が難しい。
「…会うのは…ちょっと………今電話で話すのじゃダメなの?」
それに昔の初恋の人に、整形しました、なんて言いたくないよ…。
だけど、直くんの返事は頑なだった。
「直接会って話したい。本当に大事なことなんだ」
「……」
受話器越しに、どうあっても譲らないって雰囲気を感じる。
このままじゃ埒が明かない。
ふう、と一つ息をつき、心を固めた。
これだけ食い下がるんだから、直くんにとって…本当に重要なことなんだよね。
「……分かった…」
外見を変えたことを手短に話す。
驚かれはしたが、直くんの態度は変わらなかった。
明日の昼、私の住む町の一番大きな駅で待ち合わせることに決め、電話は切られた。
今の直くんが小学生のときの彼のままだったら、秘密が口外されることはないはず。
若干の不安はあるけど……。大丈夫…だよね。
彼の住所は昔のまま、変わってないって言ってた。
この町に来るには、どう頑張っても3時間はかかる場所。
電車代もバカにならないし、中間地点で会おうよって、提案したんだけど。
俺の用事だからと押し切られ、結局直くんが足を伸ばしてくれることになった。
誠意のあるその態度に、私は安心しきっていて。
久しぶりに会う直くんは、どんな風になってるかなーってのん気に想像してた。
肝心の“大事な話”が何なのか…なんて、考えもしなかったんだ。