第5章7





虫の声が響く道を桐谷くんと肩を並べて歩く。

 いくら夏で日が長いとはいえ外はもう真っ暗だった。

 

 いつもは電車で移動する距離。

 たった2駅でも、徒歩ではそれなりに時間がかかる。

 

「俺、見たんだ。あの事件の現場」

 

 店を出てしばらく歩き、繁華街から離れて、辺りが静かになった頃。

 桐谷くんはゆっくりと、話してくれた。

 

「その日、早めに登校したのは…偶然だった。何となくスッキリしたくて、野球の自主練でもしようって思いついて。

 図工室、離れにあっただろ?誰かが独りで絵を眺めてるのが、グラウンドから見えたんだ。」

 

 おそらく、私が学校に着く少し前の出来事なんだろう。

 無意識にコクリと唾を飲み込んだ。

 

「……それで、見に行ったの?」

「雰囲気が怪しかったからな。急いで駆け込んだけど、絵はすでに手遅れだった。

そこに居たのがアイツじゃなかったら、放っておいたと思うよ。けど…」

 

 桐谷くんは、一瞬考える素振りを見せた後で、言った。

 

「香奈ちゃんが大好きな、江波直…だったから」

 

「……え…?」

 

 直くんを好きだってこと、桐谷くんに言ったことは…なかったはず。

「し…知ってたの!?」

「分かるよ。廊下ですれ違うたびに目で追ってんだから」

「……」

「それに、よく話に出てきたしな。直くんはすごい!天才だって。

いっつも二言目には直くんでさー。どんな鈍感でも気付くって」

 ニヤリとイジワルな笑みで流し見られた。

 そ…んな分かりやすかったんだ…私…!

恥ずかしすぎる…っ!

 

「好きな人に…しかも、絵に関して尊敬してたヤツに、自分の作品を汚された。

 そんなこと、本人に知らせるわけにはいかない。

 あの時の俺はそう考えたんだ」

 

 知ったらきっと泣いてしまう。傷ついてしまう。

 香奈ちゃんの想いの大きさは、分かってたから。

 

 呟くような桐谷くんの言葉は、すぐに闇に紛れて消えた。

 

「呆然としてる江波を図工室から連れ出して、問い詰めた。

そしたら自分がやったことが信じられないって言うから…提案したんだ。

俺がやったことにすれば…?って」

 

「そ…んな…」

 

 

 それじゃあ…桐谷くんが罪を被ったのは…。

 全部、私のため……?

 

「先生にも俺が名乗り出てやるよって言ったら、喜んで食いついてきた。その代わり――」

 

―――今後一切、香奈ちゃんに関わるな。

 

 

 

「誰にも傷つけさせたくなかった。

大事な人が…一生俺に笑いかけてくれなくなったとしても」

 

自嘲気味に言った彼に、掛ける言葉が見つからない。

 

「その時は名案だと思ってたんだ。

ちょうど避けてた時期で、しかも前日に酷いことを言ってしまったばかりだったし…。

俺が今、絵をメチャクチャにしたとしても…疑われない。

情けないけど…たぶんアイツがやるより俺がやった方が香奈ちゃんの傷は浅い。

あとは演技さえうまくできれば…って」

 

「……」

 

「でも結局、取り返しつかないくらい傷つけてしまった。

 ホント格好悪いよな…」

 

「格好悪いのは私だよっ…」

 

 突然声を上げた私に、隣の気配が戸惑ったようにこっちを見る。

 

 あの時、私を見下ろす彼の冷たい目に迷いはなかった。

本気で悪者になろうとしてたんだ。

 それにアッサリ騙されて、疑心暗鬼になって……。

 

「桐谷くんは…自分を犠牲にしてまで私を守ろうとしてくれてた…。

 なのに私は…たった一言で、ずっと支えてくれてた友達を…疑って…」

 

 彼との楽しかった思い出は全て偽りだったんだと、決め付けた。

 

「……泣くなよ…」

「っ…ごめ…」

 参ったな…って、私を見下ろす桐谷くんの表情は、どこまでも優しい。

 慌てて目元をハンカチで押さえる。

 

 

 当時、私の中で直くんはすごく大きな存在だった。

 恋愛感情もそうだけど、それ以上に絵に関する憧れの方が強かった。

 目標だったのは、誰もが知っている如月響子よりも、初めて絵で感動をくれた直くんで。

 あんな風になりたいって、ずっと背中を追いかけてた。

 

 当時の私が、真実を突きつけられていたら…

 もう一生…絵は描けなかったと思う。

 

 だって……

 私は感動をもらったのに、私の絵は…直くんに絶望しかもたらさなかった…

 私の絵は……憎まれていた。

 その重さに、あの頃の私が耐えられるはずがない。

 

 それを全部解っていた11歳の少年に…救われたんだ。

 直くんが私に話さなければ、ずっと悪者のままでいる覚悟をしていたに違いない。

桐谷くんは…すごくカッコイイ。

 

 なのに、こうして打ち明けられるまで、彼の気持ちを知ろうともしなかった私は…。

 なんて…情けない。

 

 

「今まで、…ごめんなさい。…本当に…ありがとう……」

 

 喉から絞り出した思いは、届くだろうか。

 

 私のぐしゃぐしゃになった顔を見て、桐谷くんは小さく笑って。

「その言葉だけで、もう十分」

 

 切れ長の目が、夜空を仰いだ。

 

「俺さ、初めて会ったときから香奈ちゃんに惹かれてた」





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