第5章8





「え…?」

 

 突然の告白に、涙が止まった。

 マヌケな顔で見上げているであろう私からは視線を外し、彼は言葉を続ける。

 

「最初は軽い気持ちだったんだ。

転校先の学校、校庭の隅で何かやってる子がいるなって。

興味本位で近づいたんだけど…」

 

あ…

このくだり、聞いたことがある。

嫌な記憶がフラッシュバックして、ゾクリと背筋が震えた。

 

―――最初は軽い気持ちだったんだ。転校先の学校で、校庭の隅で何かやってるヤツがいるなって、興味本位で近づいた。

 

あの朝の図工室での、大翔くんの言葉。

冷たい視線に捕えられて告げられた、残酷なセリフと…同じだったから。

 

だけど、続いて聞こえてきたのは、あの時とは正反対の温かい声だった。

 

「そしたらその子、すっげー真剣に絵描いてんの。

 俺が近づいても全然気がつかないくらい没頭してて…

雰囲気に圧倒されて……思わず見惚れた。

俺、そのときからずっと…椎名さんのこと好きなんだ」

 

隣の人は、照れも躊躇いも一切見せない。

あの太陽みたいな笑顔で、堂々と言ってのける。

 

……そんな風に、思ってくれていたなんて。

 

 今もそうだけど、桐谷くんは昔からモテてた。

都会から越してきた垢抜けた雰囲気の男の子。

 1学年10人ちょっとの田舎の小学校では、それだけでカッコイイって思ってしまうもの。

 

「……私、地味で、太ってて…顔もたいしたことなかったのに…」

「ストップ。そうやってまた自分のこと悪く言う」

 桐谷くんの大きくて骨ばった手が、私の口を塞いだ。

 慌てる私を見て、また優しいカオになる。

 

「俺にとっては一番だったんだよ。

 絵を描いてるときとか、絵のことを話してるときの香奈ちゃんは、キレイだった。

 もちろん今も」

 

 ……この人はまたしゃあしゃあとキザなことを…。

「よくそんな恥ずかしいこと……照れもせずに言えるよねっ」

「こういうのは照れたら負け」

 

 必死に言い返したって、サラリと正論で返される。

 ヨユウありすぎだよ。

 

 そっぽを向いた顔を覗き込まれて。

心臓が、鷲掴みにされたみたいにぎゅーってなる。

 嫌だ…苦しい。

 桐谷くんといると、どうしたってこんな風になってしまう。

 

 

 

「あれ…でも…桐谷くんて、美由ちゃんが好きだったんじゃ…」

 4年前、放課後の教室で確かにそう聞いた。

「…ああ、アレ嘘」

「………うそ…?」

「あの時は…他のヤツらが香奈ちゃんのこと、ベタ褒めだったから」

「は…?」

 どういうこと…?

「だからさ、如月響子の件で、人気者になってただろ。

それに影響されて、クラスの男子が見た目はアレだけど、性格は素直で可愛いって…言い出して…。なんかムカついた。

そういうとこ知ってるのは俺だけだったのにって」

 

 もしかして、それであんな…ブスとかデブとか言ったの……?

 避けられてたのもそういう理由だった…とか…。

 

 隣を歩く桐谷くんはバツが悪そうに、乱暴に前髪を書き上げた。

 

 なんか…小学生の桐谷くんって…カワイイ。

 今みたいに飄々としてなくて、年相応な感じがする。

 からかってみたかったけれど、また言い負かされそうな気がして口を噤んだ。

 

「見た目だけじゃ…なかったんだね」

 桐谷くんはずっと、私の全部を見てくれていた。

 

「…俺さ、ずっと香奈ちゃんのこと忘れられなくて、謝りたくて…探してたんだ」

「えっ!?」

「引っ越す前に何回も家まで行ったんだけど、門前払いで」

「ウソ…」

 全然知らなかった。

 あの頃はずっと部屋から出られなかったから…。

 

「新しい住所、役所で探したけど見つからなくて。名前が変わってたなら当たり前だよな」

「…」

「親の転勤で偶然この学校に来て、椎名さんに会ってビックリした」

 

 私も、引っ越した地でまた再会するなんて思ってもみなかった。

数ヶ月前を懐かしむように、桐谷くんは空を仰ぐ。

 

「香奈ちゃんにすっげー似てんだもん、性格。

 自分の意見言わなくて、人ばっか優先してるクセに…絵のことにはこだわってて、

真面目で、まっすぐで、自分に自信がない」

 

「……」

 

「外見は全くの別人だから、最初は戸惑った。

 でも、段々ほっとけなくなって……保健室前のベンチで描いてるの見て…

もう同一人物にしか思えなくて」

 

 だから駅で石原香奈だって言われたときは嬉しかったなーって。

 桐谷くん、それ、殺し文句だよ。

 

 どうしよう……。

 顔がニヤけるの、止められない。

 

 今なら、言えるかも…。

 桐谷くんは、ありのままの私を好きでいてくれた。

 過去のことも、今の気持ちも、全部話してくれた。

 

 私も……伝えたい。

 

「……すき…」

 

 

 立ち止まった私に、振り返る彼。

 吸い込まれそうな漆黒の瞳を見据えて、小さな声を絞り出した。

 

「私も…桐谷くんが好きだよ……」

 

 震える手で肩にかけたカバンの取っ手を握り締める。

 こんなに勇気がいることだったんだ、とわずかに残る冷静な部分で考えていた。

 

今すぐ逃げ出したい衝動を押さえつけて、必死で笑顔を作るけど。

 きっと泣き笑いみたいなヘンな顔になってる…。

 

 

 桐谷くんはしばし真顔で固まっていたかと思うと、

 ふわって…包み込むみたいに私を抱きしめた。

 

 いきなりのことにびっくりして、思わず離れようとしたけど、

 

「お願い。ちょっとだけ」

 

切羽詰ったように頼まれれば、大人しく腕のなかに収まるしかない。

 

 しっ…心臓が……

 もうすぐ壊れるかもしれない、とは言えるはずもなく。

 ぎゅって目を瞑って下を向いた。

 

「椎名さん」

「は…ハイ…」

 

「すげー嬉しい……ありがとう」

 

 心底幸せそうなカオで笑う桐谷くんを見て、思った。

 

 これからは、桐谷くんのために色んなことをしたい。

 今まで私にしてくれた分まで。

 

 私がこの人を笑顔にしたいって。

 

 

 

FIN





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