黒執事の企み





 女性向けのファッション誌には大抵、男性の精神年齢は女性に比べて低いと書いてある。
 だから、女性は年上の男性に魅力を感じるって。
 
 じゃあ、同い年だったら?
 男子は子どもだなーって、思うんだろうか。





「ミニよミニ!絶ッ対に、ミ・ニ!」
「…分かった。分かったから、もうちょっとボリューム抑えて…っ」

 高校生ご用達の駅前のファミレス。
 周りのお客さんの視線を痛いほど感じるのは、気のせいじゃない。

「分かってくれたならいいの。大声出しちゃってゴメンね」
 ペロリと舌を覗かせて謝る杏奈だけど、本気で悪かったと思ってるのかどうかはアヤシイ。
 おそらく…ううん、十中八九、思ってない。

「だって、文化祭よ?せっかく制服以外の服を学校で着るチャンスなんだから、可愛いの着たいじゃん」
「その考えは分かるけどさ…」
 どうして"可愛い"が"ミニスカート"に直結しちゃうかな…。

「じゃーさ、コスプレカフェってことにして、色んな衣装作れば?」
 杏奈と私は同時にその声の発信源に顔を向けた。
「服装、統一しないで色んなの作ればいいじゃん。手芸部の子に教えてもらってさ」
「それ、良いわね」
「それなら良いかも」

 席についてから、散々杏奈と言い争っていた。
 私たちのクラスは、文化祭で喫茶店をやることになって。その時に女子が着る服を、どんなデザインにするか。
 それが、第三者である麻生くんの一言でアッサリ解決してしまった。
 そうだよね。みんなが自分好みの衣装を作ればいい。
 杏奈はミニスカを履いて、私は露出の少ない服を作る。これで問題ない。

「男は看板とか、飾り作るからさ。服は女の子に任せる。これでいい?」
「リョーカイ。意義なし!」

 麻生くんの締めの一言に杏奈が同意する。
 最初の感じだと、日が暮れるまでかかりそうな勢いだったけど…。
 意外に早く決まって良かった。
 杏奈は難しい話は終わり、と早速秋期限定のモンブランパフェを注文してる。


 夏休みが終わってしまえば、あっという間に文化祭。
 お祭り二人組と言えば!って…軽いノリで麻生くんと杏奈が実行委員に推薦されて。
 話し合いするから咲も来てーって今日、ここまで杏奈に連れてこられた。

「で、咲、桐谷くんとどこまでいったの?」
「………え!?」
 パフェを美味しそうに頬張りつつ、杏奈はごく自然に切り出した。
 まるで授業の予習範囲を尋ねるときみたいにサラっと言うものだから、反応が遅れてしまう。

「なんでここでそんなこと聞くかな…」
 チラリと向かいに視線をやれば、麻生くんはニッコリ、笑顔を作っていて。
「心配ないよ。俺、こう見えて口堅いから」
 って、そういう問題じゃないんだけど…。
 心の中でささやかな抵抗を試みるも、二人の強い視線には絶えられなかった。

「何も…してない」
「は?」
「だから、杏奈が期待してるようなことはしてないの」
「…」
「…」

 今度は完全に点になったニ対の目に見つめられる。
 さっきの視線も怖いけど、これはこれで居心地が悪い。

「付き合ってる…のよね?」
「うん」
「花火とか、プールとか行った?」
「水着持ってないからプールは行ってないけど…花火は二人で行ったしデートも何回かしました」
 ここまで言ってしまったら、もうどうにでもなれだ。
「あんたたち、付き合って1ヶ月以上経つわよね」
「…うん」
「チューもしてないの?」
「……うん」

 どんどん落ちていく私を見かねたのか、麻生くんが杏奈の肩に手を置いた。
 もうやめとこうって、目が言ってる。

 杏奈に指摘されたこと、まさに最近の私の悩みのタネ。
 桐谷くんとは、付き合ってから一度も恋人らしいことをしてない。
 一緒にいても、手を繋いだりとか、そんな程度で。

 別に、早くそういうことをしたいとかでは…決してないけど。
 ここまでプラトニックな関係が続くと、さすがに不安になる。
 今どき中学生でも、付き合えばキスくらいするよね…?

「ね、同じ男子としてどう?」
「え…俺?」
 ずっと沈黙を貫いていた麻生くんに矛先を向けたのは、杏奈だ。
「……んー…キスは、するかな」
 麻生くんは、私を傷つけないようになのか、慎重に言葉を選んでくれている。
「俺の場合はだけど、何か理由でもない限り1ヶ月経って何もしないことは…ないかも」

 理由…。何もしない理由…?

「あ…」
 一つだけあった。思い当たること。

 ―――もうムリヤリあんなことしない。

 あの台風の日、駅でキスされて、その後で桐谷くんが言ってたっけ。
 だけど、今は恋人同士だし、そんなのはとっくに無効のはず。

 あの時の言葉を今も忠実に守ってるなんて…。
 あるわけないよ……。





「あるわよ」

 文化祭前日、全ての準備を終えて杏奈と帰路につく。
 歩道の街路樹が色づき始める中、私の、希望的観測の域を出ない意見は、案の定却下された。

「付き合って2ヶ月だよ?これはもう咲から『して』って言うしかないわ」
「そんなあからさまなこと言えないよ…」
「とにかく文化祭が勝負!応援してるから、頑張ってね」

 杏奈、私が言ったこと聞いてないな…。
 えいっと拳を掲げる彼女は、完全にスイッチが入ってしまっている。
 厄介なことにならなきゃいいけど…。
 キス云々よりも、こっちが悩みのタネだよー。





 不安とともに迎えた文化祭当日。朝から美術部の展示の準備をすることになっていた私は、皆よりもかなり遅れて教室に入った。
 すでにほとんどの人が着替えを済ませていて、メイド、ナース、侍などなど。色んなコスプレをしたクラスメイトたちが行ったり来たりしている。制服姿の方が逆に目立つくらい。

「あッ!来た!咲ーこっち」
「おはよ」
「見てアレ」
 ミニのチャイナドレス姿の杏奈が視線をやる方向には、アニメキャラクターの着ぐるみを着た麻生くんと…執事のような格好をした桐谷くんがいた。
「桐谷くん、ハマり役よね。麻生くんが家にあった執事服、持ってきたんだって」

 黒い燕尾ジャケットを羽織り、インには白シャツ、グレーのベスト、黒タイに黒いパンツ。
 髪も、いつもの無造作な感じじゃなくて、ちゃんとワックスでセットされてる。
 ポーカーフェイスの彼に、モノトーンの執事の衣装はすごく似合っていた。

 視線を感じたのか、桐谷くんが不意にこちらを流し見た。
 わわッ…!目、合っちゃった…!
 彼の口元が弧を描く前に、顔を背ける。
 なんとなく…居たたまれない。
 桐谷くんを見ていたいのに、見ていることは気付かれたくない。複雑な心境で…。

「咲ー着替えるよー」
「あ…うん」
 背中に疑問の視線を感じながら、慌てて杏奈の後を追った。


「やっぱり!咲は色白だから、女の子らしい淡い色がいいと思ったのよね〜」
「あれ…?私の服は…」
「まーまーいいじゃん。これに変更。やっぱ執事にはお嬢様でしょ」
「でもこれ胸元が…」

 更衣室で着せられたのは、チューブトップタイプの桜色のパーティードレスだった。
 鎖骨の下あたりから首元にかけて布がないのが、ちょっと心許ない。
 あれよあれよと言う間に、杏奈は驚くほどの手際の良さで私の髪をセットし、メイクを直していく。

「完成〜いいじゃん!ホントにお嬢様みたい」
 ヘアアイロンで緩く巻かれた髪はトップで纏められて。
 いつもより少しだけ濃く、だけど派手すぎない上品なメイク。
 きっと杏奈と麻生くんが、私に内緒で考えてたんだろう。二人の心遣いが嬉しかった。





「じゃあ…2時に教室でいい?」
「うん。てかソレ、寒くないか?」
「ううん。今日暖かいから、ヘーキ。…変かな?」
 杏奈にやってもらったとは言え、慣れない格好なので気になる。遠慮がちに桐谷くんを見上げれば、漆黒の瞳が優しい色を湛えていた。

「すげー似合ってる」

 桐谷くんと一緒にいると、新しい発見がたくさんあった。
 付き合う前に思っていた、読めない感じが少しずつ減ってきて。ドキドキはするけど…緊張はあまりなくなった。
 ただ、彼は時折…すっごく優しいカオをする。今みたいに。
 そういうときは嬉しい反面、どうしていいか分からない。

 一緒にいたいけど、泣きたくなるような、複雑な感情が込み上げて…。





 美術室の隣、作品を展示するスペースで、気を抜けば出そうになる欠伸を噛み殺す。
 あと20分で2時。もうすぐ交代の部員が来てくれるはずだ。

 そう思っていたところに、カラリと扉が開く音がした。

「先輩…」
 入ってきたのは見慣れた制服姿。
「お疲れさま」
「お疲れさまです。あれ?先輩は確か午前中のはずじゃ…」
「咲ちゃんの様子を見にきたんだ。…そのドレス、似合ってるね」
「ありがとうございます。これ、杏奈のなんですけど…今日は特別に貸してくれて」

 杏奈の、と告げれば、先輩の穏やかな表情が少しだけ動いた。
 先輩と杏奈は、今のところ"お友達"として付き合ってる。
 杏奈は、中学生みたいよねって冗談めかしてたけど、その笑顔は嬉しそうだった。

「西野さんの…か。コレ、彼女にはあんまり着てほしくないなぁ」
「え?」
 どうしてですか?と問う前に、お疲れ様です、と次の当番の部員が入ってきた。

「咲ちゃん、教室の方に行くんでしょ?俺もそっちに用事があるから、一緒に行こうか」





「……の服、すごくカッコイイね。桐谷くんに似合ってる」

 1年4組の教室は、東棟の1階にある。
 美術室のある西棟から渡り廊下を抜け、人気のない非常階段のあたりにさしかかったとき。
 知った名前が聞こえてきて、私は思わず立ち止まる。
 先輩がどうしたのって、目線で訴えてくるけど、応える余裕はなかった。

 桐谷くんと、知らない女の子が一緒にいたから。

「私ね、ずっといいなって思ってたの。桐谷くんのこと…」
「…」
「良かったら付き合ってくれないかなぁ?」

 非常階段の影に隠れるようにして向き合う二人。
 どうしよう……足、動かない…。
 瞬間、無表情で女の子の話を聞いていた桐谷くんが、こっちを見た。
 漆黒の瞳が、はっきりと私を捉えて、揺れる。

 あ…また目、逸らしちゃった…。
 顔が勝手に俯いてしまう。どうして…彼のことになるといつもこうなんだろう。
 都合の悪いことから逃げてばかりで、情けない。

「わっ…」
 自虐的なことを考えていたら、不意に視界が暗転した。
「教室、行こうか」
 私の視界を奪ったのは、先輩の手。
 辛いことからは逃げてもいいんだよ。
 先輩にそう耳元で囁かれて、不覚にも涙が出そうになる。

 手を引かれて、校舎内に入ろうとした、そのとき。

「咲」

 聞き慣れた低い、だけど優しい声で名前を呼ばれた。
 さっきの無表情とは打って変わって、柔らかい笑顔の桐谷くんがこっちを見てる。
 いつもは"椎名さん"って呼ばれるのに…。
 びっくりして立ち止まった私に、桐谷くんは手招きしてて。
 隣を見上げれば、先輩の顔は行っておいでって微笑んでる。

 突然部外者が現れて怪訝そうにする女の子の目の前で、桐谷くんは私の肩を抱き寄せた。

「俺、この子と付き合ってるから。ごめんな」

 な…なんてことを……!
 その言葉だけで全てを察した女の子は、泣きそうな顔で去っていったけど…私の顔は恥ずかしさで火を噴きそう。
 すぐ近くで先輩も見てるのに…!
「上、行こう」
 先輩に意味ありげな一瞥を残し、桐谷くんは私の手を引いた。


「はい、コレ着て」
 校舎の横に備え付けられている非常階段を3階まで上がった。
 桐谷くんから燕尾ジャケットを手渡される。
「え…大丈夫だよ?外だけど風ないし…」
「そういうことじゃなくて。俺が大丈夫じゃないから」
「……?」
 よく分からないと無言で訴える私に、桐谷くんは拗ねたように唇を尖らせた。

「…その格好でアイツと一緒にいたんだろ」

 …これ、もしかして……嫉妬…?
 今まで桐谷くん、そういうとこ全然見せなかったのに。
 今日の朝も、笑顔で似合ってるって言ってくれて…。

「アイツだけには見せたくなかったのに。あーもっとちゃんと考えるべきだった…」
 悔しそうにそう漏らす彼を見て、胸の奥に温かい感情が生まれる。
「じゃあ、今は着なくていいよね」
「え?」
「今は…桐谷くんしか見てない。だから、いいでしょ?」

 そう言ったら、桐谷くんは一瞬だけ驚いたような顔をして、すぐ笑顔になる。
「はー…また、そうやって…」
 向かい合っている彼の腕が、私の腰に回された。
 そのまま引き寄せられ、持っていたジャケットごと抱きしめられて。

「しばらくこうしてていいか?」

 って。
 そんなの、ダメなわけない。
 むしろもっと、ずっと…このままがいい。
 桐谷くんが私の意志を確認するのも、キスをしないのも…大事にしてくれてるから。
 そう思えば嬉しい。
 だから、これ以上を望むのはワガママかもしれない。でも…

 ―――これはもう咲から『して』って言うしかないわ

 昨日の杏奈の言葉が脳裏に木霊する。



「…………して…」
「え?何…」
「キス…して…?」

 消え入りそうな声で、だけど、ちゃんと目を合わせて言ったら、
 桐谷くんは、真顔になって少しだけ顔を伏せた。
 前髪の影になって目元が見えなくなる。

 と思ったら、突然ぐん、と引っ張られた。私の、身体が。
 声を上げる間もなく反射的にきつく目を閉じれば、唇に柔らかい感触。
 
 そっと目を開けると、私の身体は床に座る彼の足の間に収まっていた。
 不意打ちのキスは、何が起こったのか分からないまま終わってしまっていて。
 なんか…もの足りない……。

「ビックリさせた?立ってたら下から見えるからさ」
 至近距離で声を潜めて言う桐谷くんに、ついに聞いてしまった。

「…今まで何もしなかったのは…あの日、約束したから?」
「あの日って?何のこと?」
「駅で…ムリヤリしないって言った」
「……ああ、そんなこともあったな」

 懐かしいなーって頬を緩める桐谷くん。
 これはどう見ても…違う。
「じゃあ…どうして…」

「何もしなかったら、ねだってくれるかと思って」

 ニッコリと邪気のない笑顔で、堂々と言い切られる。

「さっき、すげー可愛かった。ヤミツキになりそう」
 ニヤリと意地悪く口端を上げる桐谷くんに、返す言葉もない。
 もしかしなくても…今までの清いお付き合いはぜーんぶ、計算の内!?
 確かに、私の性格じゃ自分から行動なんてできない。

 てことは…

「さっきのもう一回言ってくれたら、もっとちゃんとキス、するけど。どーする?お嬢様」

 そう訊いてくる恋人は、不敵な笑みを浮かべていて。
 やっぱりー!って心の中で叫んでしまったのは、仕方ないことだと思う。
 忘れていた…。桐谷くんは、クールで冷静沈着で…どこまでも合理的だってこと。
 不意打ちのキスじゃ足りないと思ってしまった私は、完全に彼のてのひらの上だったんだ。


 涙目になった私を見て、またあの優しいカオで笑う彼は

 子どもなんかじゃない、絶対。






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