terrible Noel【前編】





 それは十二月に入ったばかりの頃。
「ねえ咲、アルバイトに興味ない?」
 やぶから棒にそんなことを言われた。
 この見目麗しい友人の唐突な発言にはもうとっくに慣れっこだ。
「今度は何を思いついたの?」
 うちの高校アルバイト禁止だよ、という言葉はとりあえず言わずに、杏奈の出方を伺ってみる。

「何って、もうすぐクリスマスだから、プレゼント用意しなきゃじゃない」
「あ、ホントだ。もうそんな時期なんだねえ」
「ねえ…って、あんたそんな余裕ぶっこいてていいの?今年は彼氏がいるんだから、ちゃんとした物買うでしょ?」
「……そ、そうだね」
 当然のように言われ、ドキリと心臓が音をたてた。
 どもってしまったのを誤魔化すように視線を泳がせてみる。

 マズイ…。何も考えてなかった。
 そうか。そうだよね。プレゼント、考えて買わないといけないんだ。恋人に…だし、やっぱりそれなりに高価で、ちゃんとしたやつを買うべきなのかな。

「駅前のケーキ屋さんがね、クリスマスケーキの販売とかで短期のバイト募集してるの。高校生でもオッケーだったからそこ行ってみない?」
「でも…」
「大丈夫!学校には黙ってたらバレないわよ」
 綺麗な顔が不敵な微笑みをかたどる。
 大丈夫かなあ…。杏奈がこんな風になるときって、いいことがあったためしがないんだよね。
「咲、この間ブーツ買ってお金ないって言ってたじゃん。付き合って初めてのクリスマスなのに、プレゼントがテキトーだったら嫌われちゃうかもね〜」
「そ…そんな」
 見も蓋もない言い方だ。
 桐谷くんには嫌われたくないし、折角だから気に入ってもらえるものをあげたい。だけどお金はない。
 やっぱり、校則に違反してでもアルバイトするしかない…?
 マフラーに顔を半分くらいまで埋め、むむう…と考え込む。すると隣を歩いていた杏奈が、珍しく躊躇いがちに口を開いた。

「実はあたしも、敦也にプレゼント買いたくて…」
「え…あつや?……って、先輩…!?わー!いつの間に名前で呼ぶようになったの?」
 隣を見たら、これまた珍しくほんのりと頬を染めた親友がいた。
 顔に、"やっちゃった"って書いてある。
 今まで彼氏のことを話す時、こんなにも恥ずかしそうにしたことはなかった。
 杏奈、先輩とうまくいってるんだ。
 いつも堂々としてる彼女なだけに動揺して赤くなっている姿が可愛くて、自然と笑みが漏れる。

「一人じゃ不安だし、咲が一緒だと心強いんだけど」
「そういうことならやるよ!先輩、喜んでくれるといいねえ」
 杏奈と先輩のことを応援したい気持ちが、校則を破るという罪悪感を消し去った。
 私の言葉を聞いた瞬間、彼女がぱっと顔を上げる。

「ホント!?ありがとー!じゃ、気が変わらないうちに今から行こっ!」
「え…今から…!?」
「そ。いつでも来てくれって言われてるし。善は急げって言うでしょ」
 先ほどのしおらしさはすっかりなりを潜め、杏奈は完全にいつも通り。活き活きしてる。
 もう。本当、ゲンキンなんだから。
 こうして私は、駅方面へと向かう彼女に小言を垂れつつも、何だかんだでアルバイトを始めることになってしまったんだ。





「え、用事?」
「うん…ごめんね…」
 顔の前で手を合わせ、頭を下げる。桐谷くんは一瞬残念そうな顔をしたけれど、すぐに笑顔になった。
「じゃあまた今度だな」
「本当、ごめん…せっかく部活、休みになったのに」
「いいって、急だったし仕方ないだろ」

 昼休み。私たちは屋上でお昼ご飯を食べていた。
 十二月も半ばを過ぎた今、他の生徒の姿はない。今日みたいに天気が良くて風のない日なら意外に暖かくて快適なのに、勿体ない。
 ここから電車で三十分くらいの距離のところにある、イルミネーションが綺麗なスポット。
 以前、野球部が休みの日にでも行けたらいいねって話したことがあった。
 桐谷くん、覚えててくれたんだ。

 バイトのことは二人だけの秘密にしようと杏奈と約束した。
 用事の内容を詮索されないことにホッとしたけれど、ちょっと寂しいなって思ってる自分もいて。
 桐谷くんは、デートを断るほどの"用事"に興味、ないのかな…。
 とっくにお弁当を食べ終え、座って壁にもたれている横顔にチラリと目をやる。
 いつものポーカーフェイス。だけど少しだけ、無防備な感じ。

 最近彼の微妙な表情の違いが分かるようになってきた。
 機嫌が良いとき、疲れてるとき、怒ってるとき。常に無表情なようで、そこには他の人じゃ分からない機微がある。
 それに気づけるようになったのをすごく嬉しいと思ってるあたり、私の気持ちは付き合い始めてから今までの間にかなり大きくなってるんだと思う。

 桐谷くんは私以外の女の子にあんまり感情を見せない。アプローチされても、彼女がいるからってバッサリ断る。
 そういうところに、すっごく幸せを感じるんだ。
 彼の色んな表情を…私だけが知ってる。私だけが信頼されてて、大切にされてる……そんな気がして。


「あの…桐谷くん、今何か欲しいものある?」
「欲しいもの?」

 突然の問いに、漆黒の瞳が不思議そうにこちらを見る。
 じっと見つめられ恥ずかしくなって、私は視線を外した。
「逸らすなよ」
「…だって」
 こういうの、まだ慣れない…。

「じゃあキスがいい」
「…!?」
 ピクリと身体が強張り、瞬く間に全身が熱くなる。瞬間湯沸かし器みたいだ。
 フッと小さく吹き出して、桐谷くんが声を出さずに笑う。

「ほ…欲しいものって、そういう意味じゃなく…!……それに、学校だし」
「でも、誰もいないし」
 心なしか、桐谷くん…楽しそう…?
 キス、とかどうしてそんなサラッと言えてしまうんだろう。
 私は未だに、こういう雰囲気の中、二人きりでいるだけで…いっぱいいっぱいなのに。
 彼の顔を直視できなくて目線を下げると、細身なのにたくましい肩とか、シャツから覗く鎖骨のラインとかがおのずと目に入ってしまって、余計に心臓が暴れだす。

「咲、こっち見て」
「……」
 だからどうしてこういう時、そんな優しい声で名前を呼ぶの。
 いつもいつも、恥ずかしいのに…逆らえなくなる。
 桐谷くんはそういうの、分かってるのかな…。

 大人しく顔を上げると、私のうなじにそっと手が置かれた。
 指が長くてキレイで、だけど骨ばってる手。毎日部活でボールやバットを触ってるから、掌はちょっとざらざらしてて。
 キスのときはその手が髪に潜って、ゆっくり引き寄せられる。
 黒曜石のような瞳が深い色になって。
 吸い寄せられるように瞼を閉じれば、壊れ物に触れるように優しい唇が下りてくる。

「そろそろ慣れろよ」
 唇が離れると、悪戯っぽい、だけどどこかいとおしむ様な表情で桐谷くんが笑った。
「…そんなこと…言ったって」
 ドクドクと早鐘を打つ鼓動。慣れるなんて、当分無理そうなんですけど。

「今日はこれで我慢する。また時間の合う日に行こうな」
「う…うん!」

 めったに見られない蕩けるような笑顔の桐谷くんに釘付けになって。
 結局欲しいものを聞きそびれてしまったことには、その日、バイトが終わって家に帰りつくまで気がつかなかった。





 お客さんがさっきまで使っていたテーブルを片付ける。
 このお店はテイクアウトの人が多いけれど、店内で食べていくこともできるから。
 ケーキを売るだけじゃなくてウエイトレス的な仕事もしなければならないんだ。

「どーしたのよ、溜め息ついて。何かヤなことでもあったの?」
「え、私溜め息ついてた?」
「ついてたよー盛大に。自覚なかったの?」
 お客さんの入りが少ないこの時間。店長の目を盗んで杏奈が話しかけてきた。
 いけないいけない。接客中に辛気臭い顔してちゃ駄目だ。
 気を引き締めようと軽く頬を叩く。
「何かあったの?」
「……んー…実は、ね」

 私は桐谷くんとイルミネーションを見に行く約束をしていたこと、その約束がずっと実行できていないことを話した。
 バイトはクリスマスに向けて忙しくなる一方で、誘われても断り続けるしかなかったのだ。その度、気にするなと笑って言ってくれる彼に申し訳ないと思いつつ、気がつけばもう明日はクリスマスイブ。
 イルミネーションはクリスマスまでだから、チャンスはあと二日しかない。

 午後四時で上がりの杏奈を見送り、あと二時間!と既に棒になっている足を叱咤する。
 と、大きなウィンドウの外によく見知った人影を見つけた。

 嘘…!桐谷くん!?
 気付かれてはまずい。咄嗟に柱の陰に隠れつつ様子を伺ってみる。
 あれ?一緒にいるの、女の子じゃない…!?

 愕然としている私をよそに、なんと二人はお店に入ってきた。慌てて後ろを向き、洗い終わったフォークを拭いているフリをする。
 別の店員さんがいらっしゃいませ、と挨拶し、二人掛けのテーブル席まで案内してくれた。
 あくまでさり気なく、ばれない程度に観察してみる。桐谷くんは、私には全く気付いてないみたいだ。楽しそうに相手の子と談笑している。
 鼓動が早まり、嫌な汗が背中を伝う。
 もう冬休みに入っていて、桐谷くんは朝から夕方まで部活だったはず。なのにジャージじゃないということは、一度家に帰って着替えたってこと。

 ……まさか、浮気…?
 最近私が誘いを断ってばかりだったから…心変わりしちゃったとか…?
 いや、ないない。桐谷くんに限ってそんなこと。

「もおーまたカップルだよ。独り身は辛いわあ」
 悶々と考え込んでいたら、いつの間にか先ほど彼らを接客した店員さんがすぐ傍に来ていた。
 彼女の視線は桐谷くんと、女の子に向けられている。
「見てよ、仲睦まじげにしちゃって羨ましい。この時期はカップル率高くて気が滅入るね」
「……」
 店員さんの言葉に、返事はできなかった。
 桐谷くんの彼女は私なのに…。
 傍から見たらあの二人は、恋人同士になっちゃうんだ。

 クラリと眩暈がする。
 "大丈夫"と自分に言い聞かせても、浮気されているんじゃないかという不安は大きくなるばかり。
 やっと二人が席を立ったときには安堵の溜め息が漏れた。
 気付かれないよう注意して視線を向けると、女の子の顔が目に入った。

 私も…よく知っている子だった。
 二年生のときから転校するまでの四年間、同じ小学校に通っていて。
 可愛くて大人しいから、男子に人気だった。
 桐谷くんと同じ登校班で、彼がよく面倒を見てた。


 ―――美由ちゃん…。





 面白かったらぽちっと
↓とても励みになります
web拍手 by FC2

inserted by FC2 system