長いまつげに縁取られた目が、僅かに見開かれた。
いつも言い負かされている少年を、少しでも驚かせることができた。それだけでちょっと達成感。
「真奈さん?」
奏斗くんが着ている薄いカットソー。大きく開いた襟元から、キメ細かな肌が覗いて。
浮き出た鎖骨のラインが妙に生々しいな、と。
フワフワ揺れる思考でそんなことを考える。
「どした…?寂しい?」
形の良い唇は、私が欲しがっている言葉を的確に紡ぎ出す。
それも、限りなくソフトに、優しく。
こくりと一つ頷くと、彼の膝の上にあった私の腰が引き寄せられた。
「おいで」
広げられた両手に従い、そっと彼の首に腕を回す。
恋人同士のようなことをしているのに、奏斗くんの声や表情にそういう雰囲気は全くなくて。
純粋に私を慰めるための行動。それ以上でも以下でもないという感じ。
酔いに任せて触れた彼の少し癖のある髪は、予想通りサラサラしていて柔らかかった。
「真奈さんは甘えっ子だね」
「ん…。でも、奏斗くんの方が子どもだよ」
「この状況でそんなこと言うの?」
「う…」
クスクスとおかしそうに笑われる。吐息が首筋にかかってくすぐったい。
先ほどまでピアノを奏でていた長い指が、丁寧に私の髪を梳く。
人に髪を撫でられるのは、どうしてこんなに気持ちいいんだろう。
真似して、彼の癖のある髪も指先で弄んでみる。
「奏斗くんは…さ、誰かと付き合ったことある?」
「あるよ。あんまり長く続いたことはないけど」
「じゃあもし…付き合ってる彼女に依存されたら、どう思う?」
「…依存?」
「うん…。好きで好きで仕方ないの。その人さえいればいいって思ったり、他の人とあんまり親しくしないでって思ったり、常に愛情表現をしてほしかったり……上手く言えないけど、そういう風に思うの」
奏斗くんはしばらく黙りこみ、何か考えているみたいだった。
手持ち無沙汰で何気なく下を見ると、ワンピースの裾が太ももまでずり上がっている。
剥き出しの白い足は、自分のものではないようで、どこかよそよそしい。
普段なら慌てて直すところだけれど、アルコールのせいで霞がかっている頭ではほとんど気にならなかった。
「俺は嬉しい…かな」
「嬉しい?」
「うん。もしお互いに好きなら、逆に依存してほしいと思う」
「…面倒臭いって、思わない?」
私が恐る恐る訊ねたのが可笑しかったのか、それとも質問自体が珍妙だったからか、彼はあはは、と声を出して笑った。
「思わないよ。むしろ俺の方が依存するかも」
「……奏斗くんが?嘘」
「ホントだよ。心から好きな人って…自分のモノにしておきたいじゃん。互いに依存し合って、代えがきかなくなって…離れられなくなればいい」
そう言った彼の声は、蕩けそうなくらい甘くて、ぞっとするほど鋭利だった。
危険な匂いがするのに、つい惹かれてしまう。魅了されて、のめり込んで、溺れて、気がついたらもう抜け出せない。
まるで麻薬、みたいな…。
*
薄っすらと目を開けると室内はかなり明るかった。
時刻を確認しようと右側に手を伸ばすが、いつもそこにあるはずの携帯がない。
おかしい。いつもと違う。頭が重いのは昨晩お酒を飲みすぎたせい…?
疑問を感じつつも体を起こすのが億劫でうとうととまどろんでいると、カチャ、とドアの開く音がした。
「あ、起きた?」
「奏斗…くん?」
「朝ごはん食べる?それとも先にシャワー浴びたい?」
「え……あの…なんで………まさか私…!」
「大丈夫だよ、真奈さんが心配してるようなことはなかったから」
朝の光を受け、無邪気な笑顔をいっそう輝かせている奏斗くんは、間抜け面で呆ける私に昨日からの経緯を説明してくれた。
あの後、睡魔に襲われた私は、あろうことか泊めてほしいと彼に頼んだらしい。そしてさらにとんでもないことに、寂しいから一緒に寝てくれとごねたようで。
奏斗くんのことだから、きっと快くベッドに入れてくれたんだろう。
つまりこの見慣れない部屋は、彼の寝室。
ああもう…!何してんの…私…っ…!
申し訳なさと不甲斐なさで泣いてしまいたい。
いい大人が、寂しいからって高校生に添い寝してもらうなんて…ありえない。
「ごめん…本当申し訳ない。うっとうしかったでしょ」
「別に。いつもより素直で可愛かったよ?」
「……それは、どうも…」
「寝てるときなんか、俺の腰に腕からめて、"ぎゅってし…"」
「ああー!!詳細はいいからっ!お風呂、お借りします!」
小悪魔をふり切り逃げ込んだ脱衣所で、改めて鏡を見た。
崩れきったメイクにボサボサの髪、皺のよったワンピース。我ながら酷すぎる。いくらアパートが近いとはいえ、このままではさすがに外を歩けない。
母親が来たときのために置いているというクレンジングオイルを借り、化粧を落とす。
頭から熱いシャワーを浴びたら、いくらか気分がすっきりした。
同時に昨夜の自分の行動が甦ってきて、今すぐ逃げ出したいくらいの強烈な羞恥に襲われる。
いくら寂しかったからって…やり過ぎ。
奏斗くん曰く何もなかったらしいけど、それにしたってこんなこと遼介には絶対に言えない。
「真奈さん、こっち」
自己嫌悪にうな垂れたままリビングのドアを開けると、ソファに座る彼に手招きされた。
「ここ座って」
奏斗くんが指さしたのはソファとローテーブルの間。
「え…や、さすがにそれは自分でやるよ…」
少年の意図を汲み取った私はやんわり拒もうとしたけれど。
ドライヤーを片手に悲しそうな顔をされたら、それ以上反論できなくて。
結局なされるがまま、髪を乾かしてもらうことになった。
完全にペースを持っていかれてる。
「真奈さんの髪、触り心地良いね」
「そ、そう?」
奏斗くんの髪もね、と言いそうになったけど、慌てて飲み込む。
「うん、艶々しててキレイだよ」
丁寧に髪にドライヤーを当てる彼の手つきは、やっぱり親が子にするようなそれだった。
この子は私のこと、どう思ってるんだろう。
一晩一緒に寝て何もしないくらいだから、きっと異性としては見られてない…んだよね。
そういう風に見られたら困るのに、全く意識してもらえないのも、それはそれで複雑。
朝食のベーグルを頬張りつつ、私は、ミルクと砂糖たっぷりのコーヒーを飲む整った横顔を、ぼんやりと眺めた。
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