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「ねえ、奏斗くんてさ、よく学校サボってるの?」
「サボる?俺が?」
「さっきそう言われてたでしょ」
「んー…たまに、ね」
「ふうん」

 電車を降り、奏斗くんの部屋へと向かう道すがら、私は気になっていたことを訊ねてみた。
 奏斗くんは自分の事を滅多に話さない。
 こっちから訊いても、大抵は嘘か本当か分からない冗談でかわされる。

 いつも飄々としている彼は、とにかく謎が多い。
 テーマパークに行くためにあっさり学校をサボるし、初対面同然だった私に簡単に家を教えるし。

 不思議なのは、部屋を訪れて留守だった試しがないこと。
 彼は、友達や先輩と遊んだりはしないのだろうか。
 私が高校生の時は、そういう人たちとの関わりが生活の大部分を占めていて、友達と些細な話で盛り上がったり、好きな人や恋人とのことで悩んだりした。それが普通だと思ってた。

 隣を歩いている、少し高い位置にある横顔を覗き見る。北風に晒されている頬が少し赤い。
 奏斗くんのことをもっと知りたいと思った。

 それは純粋な好奇心からくる感情なのか、それとも――


「奏斗くんて、頭良さそうだよね」
「…何?いきなり」
「別に、今ふと思ったの。試験とか、あんまり勉強せずにサラッと高得点取っちゃうタイプじゃない?」
「それ褒めてんの?」
「褒めてるよ」
「真奈さんはさー、すげー細かく勉強の計画立てるんだけど結局その通りいかなくて焦ってそうなイメージ」
「な…失礼ねっ!そんなことないわよ」

 見事に図星をつかれ、私は不覚にも少し焦った。
 確かに、奏斗くんの言うとおり私は何をしても企画倒れするタイプだ。心配性だから事前に綿密にシュミレーションするんだけど、予定が狂うと結局修正できずにズルズル崩れてしまう。
 土壇場や、トラブル、そういうのに弱い。

 奏斗くんがロビーのエレベーターのボタンを押すと、チン、という音とともに、あっという間に大きな直方体が目の前に下りてくる。
 そこでやっと、話を逸らされたことに気がついた。肝心の奏斗くんの事を何一つ聞けてない。

 手早く玄関のロックを解除した彼の後に続いて、ショートブーツを脱ぐ。
 お高いマンションはエアコンの効きも速いのか、冷えていた室内は、五分もすれば快適な温度になっていた。


「どうしたの?ソファで寛いでていいよ?」

 キッチンで突っ立ったままの私に、奏斗くんが首を傾げる。
 制服からニットとジーンズに着替えた彼は、器用に包丁を操り鶏肉をカットしている。

「今日は私も手伝うよ。いつも作ってもらってばかりじゃ悪いし」
「…そう?じゃあそこのお皿取って。あと冷蔵庫から生クリーム出して」

 私に指示を出しつつテキパキと作業を進める彼は、かなり料理に慣れている。
 少なくとも私よりははるかに鮮やかな手捌き。天は、選ばれた人になら一物もニ物も与えるらしい。
 若干の引け目を感じつつ、私は出来るだけさりげない風を装って訊ねた。

「手際良いね。誰かに教わったの?」
「別に。慣れかな」
「毎日自炊するって大変だよね。私も一人暮らししたことあるけど、全然続かなかったもん。たまには友達とかと、外食したくなるんじゃない?」
「んーまあたまにね」

 気のない返事を返しつつ、奏斗くんは最後の仕上げに入った。
 フライパンでこんがり焼き目をつけた鶏肉をご飯を盛った耐熱皿に並べ、ホワイトソースを流し込む。
 その上にチーズをまんべんなくふりかけ、温めておいたオーブンに入れる。
 時間をセットしスタートボタンを押した奏斗くんに、私はさぐりを入れてみた。

「行事の打ち上げをクラスでするときとか、楽しいよね。私たちのクラス、よく皆で海岸で花火しててさ。気になる子と夜会えるってことにワクワクしてたなー。……ねえ、奏斗くんにはそういう子、いる?」

 使用済みのフライパンを洗いながら奏斗くんのほうを振り返ると、明らかに訝しげな視線と目が合った。
 やば。今のはちょっとわざとらしかったか。あの顔は絶対不審に思ってる。
 私が、ごめん、と謝罪の言葉を零すよりわずかに早く、奏斗くんが口を開いた。

「今日はどうしたの?」
「え?」
「やけに詮索するね」
「え…あ…いやーそんなつもりじゃ…」

 本当はそんな気満々だったんだけど、正直に言えるはずもなく、私は嘘をついた。
 奏斗くんの顔を正面から見られない。目を合わせようものなら、一瞬で心を見透かされそうだった。
 しばらく泡の付いたスポンジと汚れたフライパンに集中することにする。


「手伝いありがと」
「……どういたしまして」

 爽やかな微笑みでお礼を言った奏斗くんの視線が、舐めるように私を見つめる。
 嫌な汗が背中を伝った。

 ――逃げなきゃ

 直感で、そう思った。


 咄嗟にリビングに向かおうとした私。
 その腕が、信じられないほど強い力で引っぱられた。


「そんなに俺のこと、気になる?」

 耳のすぐ近くで低めのアルト。
 生温かい息がかかり、ぞわりと全身の毛が逆立つ。
 乗ってはいけない。今なら振り切って彼を拒める。そう思うのに、なぜか身体を動かせない。

「真奈さんが俺のところに来るのは、寂しいからじゃなかったの?」

 さらに腕を強く引かれ、よろめいた身体が壁に押し付けられた。
 背中に小さな痛みが走り、短く悲鳴が漏れる。

「な…に?……またいつもの悪戯?そんな手に引っかからないよ」

 意地悪な奏斗くんのことだから、いつもみたいに驚く私を見て楽しもうって魂胆なんだ。そう思って、軽くあしらおうとした。
 だけど、少年は可笑しそうに口の端を吊り上げ、そっと私の両側に腕をつく。
 一気に縮まった距離に、頭の中で警鐘が鳴り響く。

「質問に答えろよ」
「……!」
「あーあ、せっかく深入りしないようにしてたのにな」
「…ど…ういう」

 彼の言っている意味を理解できなくて、聞き返そうと視線を上げる。
 長い指が、私の髪を一房すくい上げた。
 彼の冷たい手が首筋をかすめ、ピクリと身が縮む。
 サラサラと掌から零れる髪。
 無表情にそれを見つめる奏斗くんの目の色が、変わった。

 私は、近づいてくる綺麗な瞳に釘付けになっていた。


「…っ…ん」

 奏斗くんの形の良い唇が、私の唇を優しく食んだ。
 冷たい指の腹で鎖骨をなぞられ、不覚にも吐息が漏れる。
 開いた口の間から舌を入れられた。
 乱暴ではない、けれど確実に獲物を追い詰めるように、口内を掻き乱される。

「……ふ…っ…う」

 腰を中心に身体中に甘い疼きが広がり、足から力が抜けていく。
 生理的に溢れてくる涙が頬を伝う。
 体重を支えきれず崩れ落ちそうになった時、奏斗くんの腕が私の腰を支えた。


「好きだよ、真奈さん」

 熱の篭った目に冗談を言っている気配はない。
 真っ直ぐな双眸に捕えられ、じくんと身体の芯が震えた。


「…うそつき。何もしないって言ったのに…」

 涙目で恨みがましく見上げた私に、奏斗くんは蕩けるように甘く微笑んだ。

「そんなの、建前に決まってるだろ。一人暮らしの男が部屋に異性を上げるなんて、不可抗力を除けば、下心だよ。真奈さんはそういうこと、全部分かっててここに来てるんだと思ってたけど」
「そ…んなこと分かるわけないよ…!奏斗くんにそういう風に見られたこと、今まで一度もなかったんだから」
「ふーん。一度もなかった?」
「なかった!私と添い寝までしておいて、指一本触れなかったじゃない」
「その言い方"触れて欲しかった"って言ってるように聞こえるけど」
「……!」
「図星?」

 かあっと頭に血が上る。
 なに、動揺してるの…私。
 からかわれてるだけだ。こっちのペースを乱すのは彼の常套手段じゃない。
 そもそも奏斗くんのことなんて、好きでもなんでもない。私が好きなのは遼介だ。

 そんな私の心中を読んだかのように、奏斗くんは目を細め、意地悪な笑みをつくった。

「何とも思ってない人にいつでも部屋に来ていいなんて言わないよ」
「…な…」
「俺はずっと真奈さんのことそういう目で見てた。だけど露骨に出したら警戒するだろ。特に真奈さんはマジメだし」
「別に…真面目なんかじゃ…」

「だったらしようよ。キス以上のこと」


 とんでもないことをサラッと言ってのけた彼を、私は思わず凝視して。
 すぐに後悔した。

 私を真正面から見据える奏斗くんの表情は、意地悪な笑顔でも、可愛らしい上目遣いでも、冷静なポーカーフェイスでもなかった。
 真剣な面持ちには、気を抜けば飲み込まれてしまいそうな、男っぽさがあって。
 予想していたよりもずっと力強い腕は、まだ私の腰に回っていて。
 一瞬、このまま流されてもいいかも、と思ってしまった。
 もちろん、冗談でしょう、なんて笑い飛ばせる雰囲気でもない。



「……そんなこと、できないよ」

 長い沈黙の後、やっとのことでそれだけ呟いた。
 やっぱり予想外の出来事にはうまく対応できないなって、言い訳じみたことを思いながら。







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