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 恋愛対象として見られることはないと思ってた。

 初めて会った日以来、奏斗くんは一度も私に手を出さなかったから。


 ミステリアスであるがゆえに人を惹き付ける、完璧な容姿をもった男の子。一人に固執しなくても、きっと彼ならよりどりみどり。選び放題。
 私みたいな平凡な女を好きになる可能性は、大袈裟じゃなく真夏に雪が降るくらいだと思う。

 だけどどこかで、淡い期待を抱いていたのも事実だ。
 もしかしたら好意を持たれてるのかなって。
 訪ねていけばいつでも部屋に上げてくれて、ご飯を作ってくれて、甘やかしてくれて。
 そんなことされたら、どんなに自分に自信がなくたって、いや自信がないからこそ少しくらいは勘違いしたくもなるってものだ。
 異性に告白されるという乙女心が浮き立つようなシチュエーションを二十三年間の人生で一度も経験できなかったからかもしれない。悲しいことに。

 好きなのは、遼介。それは揺るがない。
 けれど、奏斗くんにはどこか不思議な魅力を感じてしまう。
 例えるなら、時計ウサギを追いかけて穴に落ちてしまったアリスのような気持ち。
 恋じゃない…けれど、理屈ぬきで惹きつけられる。そんな感じ。





 だからこそ私はその気持ちに蓋をした。

 私には、遼介がいるから。





「どうしてもダメ?」
「あ…当たり前だよ!私、付き合ってる人がいるんだよ」
「知ってるよ。俺んち来てるのはその彼氏とうまくいってないからでしょ」
「…ッ…そんな言い方…!」

 これにはカチンときた。明らかに皮肉めいた口調。
 ここに来る一番の理由は、奏斗くんがいつでも来ていいって言ってくれたからなのに。

 それに――


「きっかけはそうだったけど今は違う。奏斗くんといるのが楽しいから…会いたいから来てるの!」

 ムキになってつい声を荒げてしまった私に、奏斗くんがしてやったりの笑みを向ける。

「へえ。すっごい殺し文句だね」
「…!」
「会いたいと思ってくれてたんだ。俺に」

 うっかり口を滑らせてしまったら見逃してなんてもらえない。
 私を恥ずかしがらせるような台詞をわざと選んでる。

「ち…違う!そういう意味じゃなくて!」
「じゃあどういう意味?」
「と、友達みたいな感じ…だよ」
「真奈さんて友達とでもキスできる人なんだ」
「なっ……!」

 顔を赤くして必死で対抗する私と、余裕の表情の奏斗くん。
 これじゃどっちが大人なのか分からない。高校生に手玉に取られるなんて、なんて不甲斐ない社会人だ。

「ご…合意の上じゃなかったし」
「んー?ほんとに嫌ならもっと抵抗できたんじゃない?」

 少しクセのある彼の髪が視界の隅で揺れる。
 何もかも見透かすような瞳に覗き込まれ、居た堪れなくなった私はつい顔を俯かせた。
 だけど、目の前のいじめっ子がそれを許してくれるはずなかった。顎をぐいと捉まれ強引に目を合わせられる。

「ねえ、彼氏がいるのに他の男の部屋にあがっておいて何もしてないから浮気じゃないです、なんて…そんなの本気で通用すると思った?」

 小悪魔めいた笑み。これは彼が意地悪をするときに見せるものだと、もう知ってる。

「俺の気持ち、薄々感づいててあえて知らないフリをしたんだろ。付き合ってるヤツがいるのに自分に好感持ってる男の部屋に上がりこむなんて不誠実だもんなー」
「……ひどい」
「でも嘘じゃない。でしょ?」
「それは…」

 痛いところを次々突かれ、いよいよこの場から逃げ出したくなる。
 否定できない自分がうらめしい。
 こういうときにうまくかわすことができない真面目な気質、何とかならないものか。
 私を観察する少年の目が楽しげに笑った。

「いいね。泣きそうな顔もすげーそそる」
「な…によ…!今まで私のこと、全然そういう風に見たことなかったくせに調子いいこと言って…」

 噛み付く私に、しかし奏斗くんはとんでもないことを言ってのけた。

「あそう。だったら俺の努力は無駄じゃなかったんだ」
「え…?」
「ずっと言おうと思ってたけど真奈さん無防備すぎ。俺だから良かったけど普通ならとっくに食われちゃってるよ?」
「なっ……!く、くわ…」
「我慢するのすげー苦労したんだからな。酔って膝の上に乗ってきたときは本気で押し倒してやろうかと思った」
「お…っおおおしたお…!」

 くつくつと楽しそうに笑う奏斗くんが、別人のように思える。
 せめて、いつもの悪戯であってほしい。真っ赤になった私を見て、冗談だよ、本気にしたの?って、憎らしいくらい可愛くて、でも意地悪な顔で笑ってほしい。

 だけど残念ながら神様は私の願いを叶えてはくれなかった。
 奏斗くんはそっと私の手を引き、入るのは二度目となる寝室へ誘導する。

 抵抗はできなかった。
 いっそのこと、めいっぱい乱暴に扱ってほしいと思った。
 そうすれば形だけでも抗えるかもしれないから。

「奏斗くん…やっぱり、ダメだよ…」
「……ふーん。"ダメ"なんだ。"イヤ"じゃなくて?」
「……っ…」

 せめてもの抵抗にと口に出した言葉が自らの首を絞めた。
 私の心はもうとっくに奏斗くんのほうを向いていると再確認させられただけだった。

 理性は必死で止めろと叫んでいる。
 だけど、身体は勝手に動いて、いつの間にか奏斗くんと並んで、ベッドに腰掛けてしまっている。

「分かってるよ、真奈さんの考えてること。浮気なんて絶対できないし、したくない。こういう事をするなら今の彼氏とちゃんと別れてからじゃないと、でしょ?」
「……だったら…!」
「でも、ごめん」

 広い部屋に、ポツンと大きなベッドだけが置かれた部屋。
 窓からは月の光が差し込んでいて、それだけで十分明るい。
 窓を背にして私を見つめる奏斗くんが、いつかの、ピアノを弾いていた彼と重なった。
 あの時も、こんな風に真剣な表情をしていたのだろうか。


「嫌だと思ったら抵抗して。やめられる自信はないけど」

 首の後ろに手が回され、自分の私の身体がそっとベッドに横たえられた。
 額に、瞼に、頬に、心の底からいとおしむような口付けが降りてくる。
 壊れ物を扱うような丁寧で優しいキス。それだけで、きゅうと胸の奥が収縮し、下腹が甘くうずいた。

「力抜いて」
「…ひぁ…っ!」

 耳朶を口に含まれ、軽く吸われる。
 ちゅる、と生々しい音が耳元で響き、思わず大きな声が出た。
 隣に横たわる奏斗くんが、声を出さずに笑う。

「そんなに硬くならなくても大丈夫だよ」

 長い指が柔らかく髪を梳く。その度に、緊張や不安が溶けて消えていくようだった。

 髪を遊んでいた指が鎖骨を這った。そのまま移動し、服の上からそっと胸の膨らみを辿る。
 触れるか触れないか、それくらい繊細な動きだった。
 時折掌が敏感な突起をかすめ、その度私は小さく身震いした。
 遼介とするときとは全然違う。良い意味でも悪い意味でも遠慮をしない遼介に触れられると、痛みを感じることもしばしばで。
 それとは逆に、奏斗くんの愛撫はじれったい。
 触れてほしいところになかなか触れてくれなくて、壊れ物を扱うかのようにソフトなタッチ。

 お腹の中心で火種が燻っているみたい。
 長い指がうごめくのに合わせて熱を持て余した身体がピクリと跳ねる。
 込み上げてくる羞恥に耐えるため、私はぎゅ、と目を瞑った。






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