13
R12程度の性描写あり。閲覧は自己責任でお願いします。
月の光に青白く浮かびあがる奏斗くんの表情は、ぞっとするほど艶やかだった。
きれいな二重瞼が私を見下ろす。睫が長い。肌だって、そこらへんの女の子よりもずっとキメ細かい。
普段は柔らかい表情でいることが多い奏斗くんが、今は意図して感情を隠しているように見えた。
まるで、気を抜けば悟られてしまいそうな気持ちを、必死で押さえ込んでいるみたい。
「ねえ、やっぱり駄目だよ。こんなの絶対に良くない」
服の裾から侵入しようとする手を掴んで押しとどめる。ゴツゴツしていて硬い。ついさっきまで、手際よく調理をしていた手とは全く別物のように思える。
「強情だね。身体はとっくにその気になってるくせに」
「やめてよ…!そういう言い方」
「でも否定はしないんだ?」
クスリと笑った奏斗くんは、信じられないくらい素早い動作で私の服をたくし上げた。
ぞくん、と肌が粟立つ。嫌悪感ではない、むしろ真逆の気持ちが湧き上がり、私は彼から顔を背けた。
「やめて…お願い…!」
必死で懇願するけれど、奏斗くんはちっとも耳を貸さない。それどころか彼の手は、私の下着のカップを首の下までずり上げてしまった。
喉の奥がきゅうっと締まり、身体のどこからか熱い塊がこみ上げてくる。それは倒したコップから水が零れだすように、あっという間に全身に広がった。
「真奈さん、こっち向いて?」
蕩けるように甘くて、掠れた声。
私は彼から顔を背けたまま、きつく目を閉じた。生理的な涙が頬を伝った。
「あんなヤツに独り占めさせるかよ」
「…え?」
どういう意味?と問い返そうとした私の身体を、甘美な痺れが駆け抜けた。
奏斗くんが、私の胸の先端を口に含んでいた。
突然与えられた刺激に、腰がビクンと情けなく跳ねる。下腹に熱が集まっていくような感覚。切なさにまた涙が溢れ出す。
「あっ…やぁっ」
零れてしまった声を隠すように、私は必死で唇を噛みしめた。
大人びて見えても、奏斗くんはまだ高校生。客観的に見れば、子どもにいいように弄ばれている、どうしようもない社会人の図だ。
十分すぎるほど分かっているのに、熱にうかされた私に、抗うすべはなかった。
「本当はしてほしいんだろ?こういうこと」
「ちが…っあ…ぅ…」
「そんな声で言われても」
「ん…っ…!」
温かいものが唇に触れた。声を我慢しようと歯を立てたそこに、奏斗くんの柔らかい舌先が触れる。そっと、優しくいとおしむように。
ずるい。そんな風にされたら、ますます抵抗できなくなる。いつだって私は、彼のこういうやり方に、骨抜きにされてしまう。
普段よりもずっと低くて、掠れた声や、私に向けられる視線。今の奏斗くんは、高校生の少年じゃない。ただの、"男の人"だ。
「―――いや!!」
夜の闇の中にポツリと浮かぶ寝室に、私の甲高い声が響いた。
腕を拘束していた力が、わずかに弱まる。その隙をついて、私はベッドから逃れた。
「真奈さん!」
奏斗くんが珍しく声を荒げた。
「アイツのこと――!」
彼の声に耳を貸す余裕はなかった。
肌蹴てしまった服を直すのもそこそこに、私は部屋を飛び出した。
会社帰りのサラリーマンやOLで賑わう夜の街を、全速力で走る。人の目なんて少しも気にならない。とんでもないことをしてしまった、とそればかりが頭を占拠していた。
どこをどう走ったのか、気がつけば私は、住み慣れたアパートの前にいた。
「遼介…」
半年以上も恋人と同棲している部屋に、明かりは点いていない。いつもは落胆するところだが、今の私にはそれが救いだった。
のろのろと階段を上がり、玄関のドアを開ける。靴を脱ぐのもそこそこに、倒れるように床に座り込む。
途端、言いようのない自己嫌悪に襲われた。
昔から、浮気をする人は最低だと思っていた。他に好きな人ができたなら、今の恋人と別れてから付き合えばいいのに、と、ずっとそう思っていた。
なのに。
「私…最低だ……」
俯けた顔を涙が伝う。ポツポツと胸元に染みができる。
そこで初めて、コートを奏斗くんのマンションに置いてきたことに気付いた。
あそこにはもう行けない。代わりのコートを買わなければ。
壊れた思考が、そんなどうでもいいことを考える。そうでもしていないと、罪悪感でどうにかなってしまいそうだった。
「――私は、遼介が好き」
胸の前できつく拳を握り締め、自分に言い聞かせるように呟く。
私に触れた奏斗くんの手や、強い瞳を思い出したら、今すぐにでもあのマンションに向かって走り出してしまいそうだった。
*
「中堀さん、最近何かあった?」
そう訊ねられたのは突然だった。
勤め先でパートとして働いている彼女は、木内さんという。歳は私と同じか少し上くらいで、おっとりした物静かな人だ。
若い人がほとんどいない仕事場ゆえ、彼女とは自然と言葉を交わすようになった。
「え…別に何もないけど…どうして?」
「ぼーっとしてること多いから。ほら、中堀さんって、いつも真面目に仕事してるじゃない?だから、どうしたのかなって」
「…ちょっと寝不足ぎみだからかな」
内心冷や汗をかきつつ、私は何でもない風に振舞う。
同棲している彼氏がいながら高校生と浮気しました、なんて、口が裂けても言えない。
「ね、中堀さん今日暇?」
後ろで手を組んだ木内さんは、私の顔を覗き込むようにして訊ねてくる。
「特に予定はないけど…」
「じゃあ仕事終わりにご飯行かない?この前誘った時は振られちゃったし、またリベンジしたいと思ってたんだ」
ニコリと人好きのする笑みを浮かべ、木内さんが言う。
そういえば、以前誘われた時は、気分が乗らなくて断ってしまったのだった。その後、奏斗くんと偶然出くわし、結局二人でDVDを観たのだが。
たった数ヶ月前のことなのに、随分と昔のことのように思える。
奏斗くんとのことは、遼介には言っていない。
はじめは包み隠さず話すつもりだった。それが原因で捨てられるなら、所詮そこまでの関係だったのだと、きっぱり諦めようと思っていた。
しかし、いざその時になると、どうしても怖気づいてしまい、結局ずるずる先延ばしにしてしまう。
そのうち、一度きりの過ちならこのまま隠し通せるのではないか、という淡い期待が芽生え始めた。
すべてなかったことにして、遼介と幸せになれれば、それが一番良いような気がしてきたのだ。
少なくとも、出会ったばかりの高校生に手を出すよりずっと。
私は、目の前のパソコンに映し出されている作りかけの起案を、ぼんやりと眺めた。
今後、あの部屋に足を向けることは二度とないだろう。
今のところ遼介に勘付いた様子はない。このまま知られることがなければ、すべて元通りだ。
たった一つ、胸の内で燻り続けている、この恋心を除いては。
「うん、行こう。何か美味しいもの食べたい気分」
少し考えて、私はデスクの脇に立つ木内さんを見上げた。
色白の顔がぱっと明るくなる。
「ほんと?じゃ、決まりね。この近くに良い雰囲気のお店があるの」
定時に二人で会社を出る約束をして、木内さんは自分のデスクに戻っていった。
仕事の後にディナーなんて久しぶりだ。考えてみれば、会社の人と仕事以外で行動をともにするのは、四月の懇親会以来なのだ。
しかし、折角の誘いにも心は全く晴れなかった。
気を抜けば、奏斗くんの顔が脳裏をよぎる。
忘れようとすればするほど、あの天使のような外見の小悪魔が、思考を埋め尽くしていく。
私の世界は、自分で思っていたよりもずっと、彼一色に染まってしまっていたようだった。