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騒がしい街中を人波を避けるようにして歩いた。
歩道の街路樹にはちかちかと点滅を繰り返すイルミネーション。横切る店の中から有名なクリスマスソングが漏れ聞こえてくる。聖夜まではまだ一ヶ月近くもあるのに、なんとも気の早いことだ。
学生時代、集合場所としてよく使われていたショッピングモールは、今だ健在だった。就職してからはめったにくぐることのなくなった自動ドアが、妙に懐かしい。
「おーもう結構来てる。アイツら一年の時はルーズだったくせに成長したなぁ」
隣を歩いていた遼介が足を速めた。傍目から見ても、浮き足立っているのがありありと分かる。
私はと言えば、今日は一日中そわそわと落ち着かなかった。久しぶりのサークル飲みが楽しみだったからではない。若い子たちに混じって浮かないか、上手く話せるかが心配だったからだ。
重い腰を上げたのは、優実の誘いに乗せられたがゆえ。私の飲み会欠席の主因である風香が、今日は来られないらしい、と言って。
「あ、遼介さん!あー!真奈さんもいる!うわ、すっごい久しぶりですねえ!」
見知った面々の集団に近づいていくと、サークル一の元気娘、比奈がいち早く私たちに気付いた。
「比奈、久しぶり。元気だった?」
「元気ですよー決まってるじゃないですか!それより真奈さんまたバレー来てくださいよー。真奈さんがいなくなって、私めちゃくちゃ寂しいんですから」
「あはは、ホント?じゃ、また行けそうなときにね」
「絶対ですよー」
比奈は私より二つ下で、現在三回生の後輩。口を開けば雪崩のように喋り続ける彼女は、話下手な私と相性が良いのか、現役時代からよく懐いてくれていた。
妹のような後輩に喜ばれて、悪い気はしない。迷ったけれど来てよかった。
「真奈さん、就職しても遼介さんと仲良さそうで安心しました」
にやけ顔と一緒にこっそりと耳打ちされた言葉に、心臓が大きく跳ねる。
「そ、そんなことないよ。しょっちゅうケンカしてるし…」
「またまたー。今日だって、家から一緒に来たんでしょ?」
「そうだけど…」
「いいなぁ〜。もう結婚も時間の問題ですね!式には絶対呼んでくださいよお」
口に手を当て、含み笑いとともにバシンと私の肩を叩く比奈。返す言葉に困り、私はただ曖昧に笑った。
遼介との事情は、サークルのほとんどの人が知っている。
片方がアパートを引き払うという、本格的な同棲をしているカップルは珍しい。そのためか、仲間内では、私たちの結婚はほぼ百パーセント決定事項らしい。
後輩とふざけ合っている遼介を見ていると、まだちゃんと"恋人同士"だった頃に戻ったような気持ちになった。
皆に変な気を遣われたくないからか、遼介はサークルでは私のことを特別扱いしない。
面倒見が良く、一番に頼られる存在である彼。もちろん男の子だけじゃなくて、女の子からも。それが気に入らなくてへそを曲げていた時もあった。
頼りになる先輩。それは彼を好きになったきっかけでもあるのに、いざ彼女の座に収まってみると、嫉妬の原因にしかならなくて。
自分の心の狭さに自己嫌悪に陥ることも、一度や二度ではなかった。
それでも遼介は、辛抱強く話を聞いてくれて、一緒に悩んでくれた。
ケンカになることもしばしばだった。けれど、それだけ二人ともが真剣に考えていたのだ。
なのに。
面倒くさいからというだけで、遼介が二人の問題から目を逸らし続けるようになったのは、いつからだったろう。
「――奈、…真奈!」
「え?あ、何?」
「どしたの?ぼーっとして。話聞いてた?」
「…ごめん、聞いてなかった」
いつの間にか比奈は別の人と話していて、隣で私の顔を覗き込んでいるのは優実だ。
「もー、久しぶりなのに、もっと皆と喋ってこうよ。相変わらず大人しいんだから。ホラ、新入生もいっぱいいるし」
「ええー…私はいいよ」
「まーたそうやって。友好関係広げようとしないの、悪い癖だよ?」
本気口調ではなかったものの、優実の指摘は的を射すぎていて耳が痛い。
渋い顔をする私をよそに、彼女はキョロキョロとあたりを見回している。どこから交友を広げていこうかと目星を付けているのだろう。
「あれ?」
優実の視線がある一点で止まった。
その先では、四回生の女子何人かが固まって談笑している。
「真奈、あの子知ってる?ほら、今菜穂と話してる」
一つ歳下の菜穂の隣には、見たことのない女の子がいた。
暗めの茶色に染めたロングヘアに、大人っぽい顔立ち。華奢だけれど背はそこそこ高い。膝より少し上の丈のフレアスカートに白いコート。何となく女子アナを思わせる、清楚な雰囲気の美人だった。
「知らない。最近入った子かなあ」
「えーあそこに混じってるってことは四回生でしょ。卒業前なのに新たにサークルに入るって、珍しいじゃない」
「ああ、確かにねえ」
顎に手を当てて首をかしげる優実に、私も同意する。
部活はともかく、大学生のサークルは人の出入りが激しい。特にうちは、バレー未経験者が多く、素人でも気軽に楽しめるのが売りだ。
そうは言っても、この時期に、しかも四回生が入ってくるのは前代未聞だった。
「ちょっと気になるなー、美人だし。ま、どっちにしろ話してみよ」
独り言のように呟くと、優実は私の手首を掴み、ぐいぐいと引っ張っていく。拒否権どころか言葉を発する隙すら与えられない。
四年以上の付き合いで、彼女のこういうところには慣れっこだ。私は、ままよと後をついていった。
「こんばんはあ、新しい子?」
「あ、優実さんに真奈さん!久しぶりですー」
女子アナ風美人に話しかけた優実に、近くにいた四回生たちがお決まりの挨拶をする。女子アナは何も言わなかったが、ペコリと控えめに頭を下げた。
「そうなんです。この子、最近入ってきたんですよ」
「やっぱ?見たことないねって、さっきあっちで話してたの」
「初めまして、安形志乃です。よろしくお願いします。OGの方ですか?」
「そ。社会人一年目の優実でーす」
コツンと優実に肘で付かれ、私も慌てて「中堀真奈です」と挨拶を返す。
「ねね、どうしてこんな時期にサークルに?もしかして、誰か狙ってる人がいたりするの?」
「いえ、そういうんじゃないです。実は私、他校生で。小さな専門学校だからサークルとかもあまりなくて。ずっとバレーしたかったから、今からでも、ってここに入れてもらったんです」
好奇心を隠そうともしない優実に、安形志乃は丁寧に答える。
隣にいた菜穂が、「私が誘ったんですよー」と付け足した。志乃と菜穂は、最近近くの料理教室で知り合ったらしい。
どこの学校、とか、彼氏いるの、とか、優実の質問攻めにたじろぎ気味の志乃だったが、感じの良い笑顔は崩れない。
第一印象は大人しめの美人。自分から話題を振ることはないが、振られたら常に笑顔で返してくれるタイプ。男子が喜びそうだなー、と、私は聞き役に徹しつつこっそり思った。
「じゃ、移動しまーす!」
優実のお喋り、もとい詮索に水を差したのは、サークル長の一声だった。
それを合図に、三十人ほどの集団がぞろぞろと動き始める。
「私たち仕事もあるし、あんまりこういうの参加できないけど、またよろしくね」
「そんな、こちらこそです。今日の飲み会でも、お話したいです。中堀さんも」
不意に水を向けられ、私は咄嗟に笑顔をはりつけた。こちらを向いた彼女と目が合う。
うん、やっぱりすごく華がある。
言葉を交わさなかった私にもお愛想を忘れない程度には、彼女は処世術を知っているようだった。