17
「真奈ー!次どうする?」
酒でふわついた頭に、優実の通る声が響く。
一次会がお開きとなり、幹事の指示でめいめいが店の外へ流れた。
店の入り口の真ん前でたむろして、営業妨害などもってのほかなので、ある程度スペースのある、スクランブル交差点の歩道へと移動することになる。
「私、帰る」
「え、帰っちゃうの!?」
「お腹いっぱいだし、ちょっと酔ったし」
「もー、真奈がいなきゃつまんないじゃん!」
腕を掴んで引っ張られた。優実は、おそらく私より、ずっと酔いが回っている。
たとえ社交辞令でも、こういう場面で引き止めてもらえるのは嬉しかった。自分が必要とされていると錯覚できる。
「他に帰る人いれば良いけど…真奈一人じゃちょっと心配だよ」
「なーに言ってんの、私は小学生じゃない。大丈夫だから優実は楽しんできて」
一緒に帰る人などいない方が楽だ。独りの方が気を遣わなくて済むし、よっぽど落ち着ける。
久しぶりの飲み会は、大体いつも通りだった。
最初の一杯だけビールに付き合い、二杯目からはずっとカクテルを飲んでいた。
座敷の席順は、形だけはクジ引きという体をとっている。しかし、ピッチの速い学生たちは、酔いが回ると思い思いに席を移動する。開始十分後には、席なんてあってないようなものだった。
遼介は毎度のごとく大勢に囲まれ、輪の中心で盛り上げ役をやっていた。一方、騒ぐことが苦手な私は、話しやすい子のところに逃げ、ちびちびと飲んでいた。
「お話したいです」と言っていた安形志乃は男連中に囲まれ、とてもじゃないが入っていける空気ではなかった。
感心したのは、おそらくトイレに行くにも気を遣う状況に置かれているにも関わらず、彼女の笑顔が絶えなかったことだ。
小さな口で上品に物を食べ、お酒を注がれても嫌な顔一つせず飲み干す。分け隔てなく話を振り、気も利く。化粧直しなどしてないはずなのに、ナチュラルな美しさは崩れない。
私には逆立ちしたってできない芸当だ。
アルコールが入ると、人は本性を現わす。要するに、きれいな子の周りには、男が集まる。
その事実にショックを受けたのは、大学一回生の間だけだった。
自分がきれいでも可愛くもないことは、ずっと昔から知っていたし、見てくれで女性を判断する人に興味はない。
良くも悪くも、遼介はそういう駄目な奴ではなかった。見た目云々など関係なしに、皆と仲良くしようとする。
もちろん、嬉しくもあった。けれど、彼のそういうところを女性陣が褒めるたび、私はますます自信をなくしていった。
遼介がその気になれば、私の代わりはいくらでも見つけられる。
「じゃ、そろそろ行くわ」
優実が小さく手を振る。二次会の場所が確保できたようだ。
「気をつけて帰って」
「そっちこそ、あんまり飲みすぎないでね」
「あはは、自信持ってうんとは言えないわね」
優実は、軽口を叩くくらいには、酔いがさめたらしい。
動き始める集団を素早く目で確認したが、遼介の姿はない。
もう移動してしまったのだろうか。
本当のところは、遼介と二人で帰りたかった。
明かりのついていない部屋に戻り、一人で眠るのは寂しさは、何度経験しても慣れない。
だけど、どんちゃん騒ぎとお酒が大好物の彼が一次会で帰るなど、天地がひっくり返ったってあるわけがないのだ。
次の店へと向かう皆の背中を見送り、さて帰ろうと鞄をあさる。
と、内側に付いているポケットに、いつもの馴染んだ感触がないことに気付く。サッと血の気が引いた。まさか。
歩道の真ん中に突っ立ったまま、ごそごそと鞄を引っ掻き回す。やっぱり、ない。本来なら携帯と一緒に内ポケットに入っているはずの、電車の定期券が消えている。
確か期限切れまで、あと三ヶ月ほどあったはずだ。諦めるには惜しい。
私は仕方なく、一次会の居酒屋までの道を戻り始めた。歩道に目を走らせることも忘れない。
店の入り口まで戻っても、定期は見つからなかった。
「すみません、さっきここを利用したものです。忘れ物をしてしまって…取りに上がっても大丈夫ですか?」
「構いませんよ。どうぞ」
店員に事情を説明すると、快く中に入れてくれた。
座敷があるのは最奥だ。さっさと見つけて帰ろうと足を速める。
ふと、何気なく通りすぎた一角に、見覚えのある人影を見つけ、私は立ち止まった。
そんなわけがない、と思った。いや、思いたかった。
周囲の騒ぎ声が一瞬にして遠のく。
自分の鼓動だけがやけに大きく耳に響いている。
汗ばんだ掌を握り締め、こくんと唾を飲み下した。
私は、ゆっくりと振り返った。
最初に目に入ったのは、茶髪のロングヘア。シャンプーのCMに出られそうな、艶のある髪。それを、節ばった指がそっと梳いている。
後ろ姿の二人は、ソファに並んで座っていた。
本来なら向かい合わせで使用するところを、あえて並んで。
肩を寄せ合い、楽しげに笑い合う様子は、絵に描いたような恋人同士そのものだ。
相思相愛なのは、疑いようもない。
サラサラの髪を梳いていた大きな手が、ゆっくりと華奢な肩に触れる。
女性は小さな頭をコトリと傾けた。細い身体が、隣の人のたくましい腕にしなだれかかる。
そこまで見せ付けられてもなお、私はその場から動けなかった。
床に足が縫い付けられてしまったみたいだった。
カップルは、通路を行き交う店員や客の目など、少しも気にしていない。
幸せそうに見つめ合う横顔。
そっと肩を引き寄せられた安形志乃は、一瞬だけ恥らうように睫を伏せた。
彼女が再び視線を上げたとき、そのふっくらとした柔らかそうな唇が、優しく塞がれた。
――私が四年間付き合っている、同棲中の恋人によって。