02





「あ、蒼さん、おはようございます」
「おはよー…って、何してんの?」

 朝8時。
 出勤のためにアパートを出た蒼は、鎌を片手にしゃがみ込む羽海に出迎えられた。
 学生時代のものだろうか。着古したジャージの上下をまとい、肩より少し長い髪を後ろで一つに結わえた彼女は、昨日よりも幼く見える。

「ご覧の通り、草刈りです。大家さんが一人でやってらしたのでお手伝いを」
 羽海は当然のように言った。
 なるほど駐車場の逆サイドからは、大家と思しき年配の男性が草を刈っている。
 このアパートの駐車場は舗装されていない。
 最近温かい日が続いていたため、雑草が伸びてきていたのだ。

「そりゃまた感心だなー。仕事は?」
「来月の頭からですので、あと1週間はヒマです」
「まだ8時だけど」
「今朝は5時に起きたので」
「5時!?」
 休日に起きるにしてはあまりにも早すぎる時間に、蒼は目を瞠った。
「なんでまた、そんな時間に?」
「毎朝、軽くその辺を走るのが日課なんです」
「へえ…」
「これが気持ち良いんですよ。最近病みつきになってしまって」
 澄んだ空気を吸い、朝日を浴びながら走った後に食べる朝ごはんは、最高に美味しいのだ。
 実家時代は、同じようにジョギングしている人と仲良くなったりもした。
 新しい住まいでもジョギング仲間をつくりたいと羽海は心中で目論んでいる。

「今度俺も一緒に走っていい?」
 蒼は満面の笑みで、最近運動不足だからさーと付け足した。
「もちろんです!」
「着いていけなかったらやべーな」
 ニカッと笑って冗談を言う蒼に、羽海もつられて笑う。
 それにしても、朝からなんて爽やかな人なんだろう。
 彼の周りの空気は、春のそよ風みたいだ。

「じゃ、俺は仕事に行ってきます」
「はい、お気をつけて」
 スーツをパリッと着こなした蒼は、駐車場に停めてあった車に乗り込む。
 私も来月から、あんな風に頑張りたい。
 羽海はよしっ!と腕まくりをして、草刈りの続きに取り掛かった。





 小さなクローゼットから、片手で数えられるほどしかない服たちを引っ張り出し、眺めた。その中から比較的まともなものを選び出す。街に出るには地味かもしれないけど、特に気にはならない。
 何を着ていようが私は私だ。
 スッピンだった顔にファンデーションだけをのせて家を出た。


「おー久しぶりー羽海!」
「凛(リン)ちゃん!久しぶり!またスタイル良くなったね」
「羽海は変わらねーよなー…まーたスッピンで、適当な服着て」
「失礼な!今日はファンデーションを付けてます。凛ちゃんこそ、その歯に衣着せぬ物言い、相変わらずじゃない」

 学生時代からの友人、花村凛。
 男勝りだが、実は人一倍情に厚い。筋トレが趣味の、根っからの体育会系だ。
 数少ない、敬語を使わずに話せる相手でもある。

「あ、そーいや就職おめでと」
「ありがとう。やっとひと安心だよ」
「こっちに住んでるならさ、ちょくちょく会おうぜ。一人暮らし、サミシーだろ」
 運ばれてきた豚の生姜焼き定食を早々にたいらげた凛が、からかうように言う。
「うん、沢山会いたい。だけど、一人暮らしは思ったほど寂しくないよ」
「へえ…そりゃ、良いことじゃん」
「マロもいるし、同じアパートに蒼さ……真崎さんっていう高校の同級生がいたんだ」
「真崎って…真崎蒼?」
 意外そうな友人に、羽海は牛丼を咀嚼しつつ首をかしげた。

「凛ちゃん、知ってるの?」
「2年のとき同じクラスだった。アレ?でも確か…坊ちゃんだったと思うぜ、アイツ」
「坊ちゃん?」
「親がどっかの社長かなんかで、チョー金持ちなんだよ。なんでまた羽海が住むようなボロアパートに…」
「ボロって決め付けないでよ」
 真顔で失礼なことを言ってのける友人に、羽海は思わず突っこみを入れた。
 確かに新しくはないけどさ。

「ま、いいか。とりあえずアイツは良いヤツだから、心配ねえわ」
 口元に笑みを浮かべ、昔を懐かしんでいる様子の凛。
 仲が良かったのだろう。なんとなくだが、凛と蒼はウマが合いそうだと思った。

「あ、そうだった。凛ちゃんこれ」
 ごそごそとカバンを漁り、羽海が取り出したのはシンプルなタッパー。中には大根の煮物、ほうれん草のおひたし、小松菜炒め煮、きんぴらゴボウなどなど、羽海お手製のヘルシーサイドメニューが詰まっている。
「おお、サンキュ。何か悪いな、会うたびにもらっちまって。金ねえって言ってるのに、大丈夫か?」
「全然大したものじゃない。気にしないで」
 そんなことより凛の食生活の方が心配だ。
 一人暮らしなのに料理を全くしない彼女の食事は、大抵コンビニで調達されるから。
 必然的に、味付けの濃いものばかり口にすることになる。

 だが、実のところ一番大きな理由は…
「この前もらったのもすげーうまかった」
「本当!?良かった」
 笑顔で言う凛を見て、温かい気持ちが込み上げた。
 自分がしたことで友人が喜んでくれる。それが羽海にはたまらなく嬉しいのだ。

「凛ちゃんも外食ばかりじゃなく、たまには家でご飯作ったほうがいいよ」
「う……まーた親みてえなこと言って。それなら羽海も、人のことばっかじゃなくて自分のオシャレのために金使えよ」
「う……」

 それを言われると何も言い返せない。
 社会人になるのだから、もう少し女らしくしたほうがいいかもと思ったりもしたが…。

「…興味、ないからなあ」
 もともと自分の外見にはあまり拘らないタチなのだ。
「そう言うと思ったよ。ま、そのうち恋でもすれば嫌でも関心沸くんじゃね?」
 そうだろうか。
 色恋沙汰にうとい羽海には、"そのうち"などという近い将来に自分が恋をするとは思えなかった。






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