04





 深いダークブラウンの瞳に覗き込まれ、キレイな色だな、と的外れなことが頭に浮かんだ。
 カラーを入れているのだろうか、瞳と同じ色の柔らかそうな髪が風に揺れている。

「矢吹?」
「あ…すみません」
 心配そうな蒼に、羽海は笑顔で応じた。
「お気遣いありがとうございます。最近金欠で悩んでますから、そのせいかと。…お給料が入るまではギリギリの生活なので」
「そりゃ深刻だな。ホントにヤバくなったらメシ奢るよ」

 冗談ぽく言う蒼に多少の罪悪感を感じつつも、一方ではうまく誤魔化せたと胸を撫で下ろした。本当のところは雛乃の件で悩んでいるのだが、自ら進んで言いたくはない。
 余計な心配をかけるかもしれないし、何より雛乃のことを悪意で告げ口するみたいで。
 それに、金欠による生活苦は嘘ではないのだ。

「蒼さん…本当に、ありがとうございます」
「ん?俺何もしてないけど」
「気遣ってくださる人が近くにいるというだけで、随分心強いものなんです」
「そんなものですか」
「はい、そんなものです」

 羽海の口調を真似る蒼が可笑しくて、小さく吹き出した。
 こうやって彼と他愛無い話をする時間が、前向きな気持ちを奮い立たせてくれる。
 蒼は人を笑顔にするのが上手い。懐っこく、壁を作らない性格は、好印象な見た目も手伝って、胸の中に温かい気持ちを作り出す。

「仕事、うまくいってる?」
「え……はい」
 一瞬、心を読まれたのかと思った。
 返事が遅れるも、整理体操を終えて伸びをしている蒼に、何かを感づいた様子はない。
「一年目は大変だよな」
「そうですね。覚えることが多すぎて…いっぱいいっぱいです」
「俺も2年前はそんなだった。懐かしいな」
「蒼さんが?」
 羽海は目を瞠った。
 今の彼からはそんな様子は微塵も感じられない。

 驚きの表情のままの羽海に、蒼は唇を尖らせた。
「そりゃそうだよ。俺そんな器用じゃねーもん。今でも仕事でトチって後悔すること結構ある」
「……意外です…」
「ははっ…よく言われるよ。俺、わりと要領いいと思われることが多くてさ。それが損だと思ってた時もあった。色んな人から、頑張らなくてもあいつならサラっとこなせるって言われて。こっちは必死でやってんのに、割に合わねーってな」

 昇り始めたばかりの、低い位置に浮かぶ朝日を眺め、蒼は微笑んでいる。
 自嘲ではなく、穏やかな笑み。
 陽の光に縁取られた彼の表情に、目を奪われた。
 すごく、生き生きしている。
 同じ社会人として、素直に格好良いと思った。

「それがある時さ、努力すれば見ていてくれる人は絶対いるって気付いたんだ」
「努力…ですか?」
「そ。なかなか実らないけど、実現したらすげー嬉しいんだよなー」
 いや、なかなか実らないからこそ、かな。
 そう言って少し照れる蒼が眩しく見えたのは、朝日のせいだけではない。

「あーなんか説教くさー!親父みたい、俺」
「いいえ!そんなことありません!感動しました…」
 照れくさそうに鼻を擦る彼に必死でかぶりを振れば、感動って、大袈裟!と楽しそうな笑い声。
 
 認めてもらえないなら、認められるまで頑張ればいい。
 私なりの方法で。
 それでも何も変わらないなんて、絶対にない。そう思わせてくれた蒼に、心中で感謝した。





「あら矢吹さん。今日も早いのね」
「広岡さん…おはようございます」
「またお勉強?」
「はい。お洋服、見せていただいてます」
「うふふ。熱心で良いことね」

 開店前の百貨店。今日は羽海が早番の日ではないが、商品のことを勉強するためにこうして早くから出勤している。
 服のことに関してはほとんど無知な自分。
 ブランドやメーカー名、生地の特徴、アピールポイントなどを勉強し、少しでもお客様の役に立ちたいと思っての行動だった。
 コーディネートについても、本を読んで自主学習している。最も買うお金はないため、県立の図書館で借りたものだが。

「あらあ…ショーケース、キレイね。磨いてくれたの?」
「あ…はい」
「いつも助かるわー。ありがとうね」
 ニコリと笑う広岡さんの目尻に皺ができた。
 羽海の母より少し若いくらいの彼女は、穏やかな話し方と雰囲気で、羽海を安心させてくれる。
「そう言っていただけると、私も嬉しいです」
 早く来て掃除をするのは、お客様のためだけではない。先輩社員の負担軽減にもなると思ったからだ。

「はいこれ。頑張り屋の矢吹さんにあげるわ」
「…クッキー…ですか?」
「ここのB1フロアに入ってるお店のなんだけど、すっごく美味しいのよ〜。それ食べて今日も頑張りましょ」
「あ…ありがとうございます」

 差し出された可愛らしい袋を丁重に受け取って、しばし見つめた。
 一人でもこうして励ましてくれる人がいる。それがどうしようもなく嬉しい。
 雛乃には相変わらず煙たがられているが、そんなのどうってことない。
 
 よし、もうひと頑張り!と呟いて、羽海は制服の袖を捲り、洋服を手に取った。





 トントンと手早くジャガイモを一口大の大きさに切り、ザルに入れて振る。
 角を取り、味をよく染みこませるためだ。切り終えた具材を少しだけ炒めて。
 後は水と調味料を加え、煮詰めれば完成だ。

「超ウマそーな匂いがする!」
「もうちょっとだから、待ってて」
「リョーカイ。いい感じに腹減ってきた」
「お昼、あまり食べなかったって言ってたもんね」

 満開だった桜はいつの間にか散り終え、木々の葉が青く茂り始める頃。
 ゴールデンウィーク直前。羽海のアパートの部屋ではラフな格好の凛が寝転がっていた。
 販売員にとって、世間一般の休日は稼ぎ時。羽海も例に漏れず、ゴールデンウィーク中はフルに仕事が入っている。
 代わりにその前日が休みとなったため、こうして凛と会っていたというわけだ。

「食材、ありがとね」
「何言ってんだよ。いつも貰ってんのはこっちだろーが」
「そうだけどさ」
「材料だけ買って好きなもん作ってもらえるなら、毎日でもそうしたいぜ」

 料理をしながらの会話。キッチンとリビングが繋がっている1Kのアパートは、それができるので便利だ。
 今日は凛が買ってきてくれた食材で、リクエストされた肉じゃがを作っている。
 それだけではと思いお吸い物も用意したが、出資者はほとんど凛だった。

「仕事、順調?」
「うん。最近服のことを勉強してる」
「へえ。頑張ってんのな」
「お客さんにもコーディネートのアドバイスとか、できるようになってきたんだよ」

 楽しそうに話す羽海に、凛の顔も自然と綻んだ。
 オシャレとはほど遠い羽海が、よりによって百貨店に就職すると聞いて心配していた凛だが、どうやら杞憂に終わりそうだと安堵する。

「同じ子ども服部門の人たちとも少しずつ打ち解けてきてね。今、仕事がすごく楽しいの」

 人からの感謝がやりがいになる。それは、バイト時代も今も変わらない。
 ただ、雛乃との仲に進展がないのが今ひとつ引っかかるが。

「そういや、蒼とは仲良くやってんの?」
「もちろん。よく一緒にジョギングしてるよ」
「へー…二人で?」
「うん」

 凛の意味ありげな聞き方を訝ることなく、羽海は素直に返事を返す。
 ニヤリと黒い笑みを浮かべる彼女に疑問を抱きつつ、菜箸でジャガイモをつついた。

「それ、蒼が言い出したわけ?」
「そうだよ。ジョギングが日課だって言ったら、一緒に走ってもいい?って」
「何で?」
「うーん…お腹に脂肪がつき始めてきたから?」
 半信半疑なので、語尾が疑問系になった。
 どこからどう見ても、蒼にダイエットが必要とは思えないから。

 途端、寝転がってマロの顎を撫でていた凛が、豪快に吹き出した。
 三色の毛で覆われた小さな体が飛び上がる。無理もない。突然の爆笑に、離れている羽海ですら驚かされたのだ。

「羽海、肉じゃが、蒼にも持ってってやろうぜ」
「う、うん。いいけど」

 久しぶりにアイツと話したいしな、と涙目で呟く凛は、すこぶる楽しそうな顔をしていた。





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