鳩が豆鉄砲をくらったような、とはこんな顔を言うんだろうなと思った。
羽海の隣で、よ!と手を挙げる凛。
そんな彼女を凝視して固まる蒼。
「え…なんで花村が……矢吹の知り合い?」
「知り合い程度の付き合いじゃねぇ。気心知れた昔からの友達だよ」
「…すげえ意外」
「よく言われます」
夕飯を食べ、しばらく昔話に花を咲かせた後。
肉じゃがを鍋ごと抱えた羽海と凛は、蒼の部屋を訪ねた。
「しかしオマエは高校の頃から変わってねーな!」
「花村こそ、その男言葉は社会人になっても健在なんだな」
「うっせー。これでも仕事中はセーブしてるんだよ」
遠慮のない掛け合いから、二人の関係が垣間見える。
高校3年間ずっと別のクラスだった凛は、いわゆる一匹狼だった。
いつも一人で行動し、時々話しているのはいつも男。
彼女曰く、女は色々メンドクサイ。だそうだ。
「それより蒼、もうメシ食った?」
「まだだけど」
「じゃ、ちょっとキッチン借りるわ」
言うが早いか、凛は玄関で靴を脱ぎ始めた。驚いたのは羽海だ。
肉じゃがの鍋を渡してすぐ帰るんじゃなかったの…!?
いきなり押しかけて部屋に上がるなんて、良いのだろうか。
オロオロとうろたえる羽海に、蒼は苦笑して言った。
「矢吹も上がって。散らかってて悪いけど」
「とんでもありません!こちらこそ、突然申し訳ないです…」
「ははっ…ホント、真逆の組み合わせだよな」
しゅんと小さくなる羽海。かたや、堂々とベッドに腰掛け雑誌をめくっている凛。
まさに対照的。蒼が言うことにも頷ける。
「お邪魔します」
「どーぞ」
「すぐ用意しますので、凛ちゃんと座っててください。ご飯はありますか?」
「炊飯器に焚いたのがあるけど…。俺がやるし矢吹こそ座ってなよ」
「いえ、上がりこんだ身ですので」
それでも何か言おうとする蒼をやんわりと制し、鍋を火にかける。
本人は散らかっていると言っていたが、男の人の一人暮らしにしては、部屋は整頓されていた。
ベッドにデスク、パソコン、テレビ。羽海ほどではないものの、必要最小限の物しか置いていない室内はとてもシンプルだ。
「蒼さぁ、羽海に対しては随分優しーのな」
やり取りの一部始終を眺めていた凛がにんまりと頬を緩める。
純粋に首を傾げる羽海に対し、蒼は眉をひそめた。
「…別に、普通だと思うけど」
「でも仲良くしてるらしいじゃん。それって最近太ってきたからなワケ?」
その一言で蒼の顔色が変わる。
「そう!すっげー太ってヤバいんだよ!」
半ばヤケクソ気味に言う蒼の頬には薄っすら朱が差していて。
旧友の慌てぶりに、凛は実に楽しげだ。
その傍ら、状況が理解できない羽海は、一人黙々と蒼の夕食の準備を進めている。
「かなり手強いぜ、羽海は」
「…」
「一筋縄じゃいかねーよ。オマエは男じゃなく同じアパートの同窓生として見られてる」
「んなこと分かってるよ…」
「…羽海はさ、そっち方面に関しちゃ世界チャンピオン級の鈍さだけど、すげー良いヤツだから」
「…知ってる」
「ま、頑張れよ。アイツの幸せそうな顔が見れれば、こっちも嬉しいし」
大抵が幸せそうな顔してっけどな、と付け足して、凛はバシバシと蒼の背中を叩いた。
なぜ自分が手強いのか、そっち方面とはどの方面なのか、羽海にはいまいちよく分からない。
けれど、凛が自分のことを大切に思っていてくれることが伝わってきて。
温めた肉じゃがを器に盛り付けながら、笑顔が零れた。
*
「すみません。この服、サイズ120のベージュはもうないの?」
ゴールデンウィーク真っ只中。混み合う店内でその男性は一際目立っていた。
小さな顔に、スラリと長い手足。どこぞの俳優かと見紛うような甘く整った顔。
身につけている服も、一目で良い物だと分かる。
子ども服を扱うショップ。ただでさえ女性客が多い中に、見目麗しい男がいれば嫌でも目に付いた。
「お客様、申し訳ありません…。そちらは今人気のブランドの商品で、在庫を切らしているんです。2週間ほどかかってもよろしければ、お取り寄せいたしますが…」
「困ったな。どうしても今欲しいんだが。何とかならない?」
「そう言われましても…」
接客している広岡さんは、困ったように眉をハの字にしている。
男が手にしているのは、プチフィーの半袖ワンピース。子どものデリケートな肌にも優しいオーガニックコットンを使ったガーゼ素材で、小花柄の刺繍が施されている。
通気性が良いので、今の時期、夏に向けて購入する人が増えていたのだ。
それに確かこのブランドは…
「そちらの商品でしたら、1階の別のショップでも取り扱っております。今すぐ確認して参りますので、少々お待ちいただけますか」
突然割って入ってきた羽海に、驚いた様子の男。
それに構わずニコリと微笑みを返し、1階へと急いだ。
お客様はなるべくお待たせしてはいけない。
1階のショップの責任者に確認すれば、幸運にも1着だけ在庫が見つかった。
エレベーターを待つのももどかしく、2フロア分の階段を駆け上がる。
「大変お待たせいたしましたっ!ありました…こちらの商品で……お間違えないでしょうか…っ」
「ああ、これだよ。走って取りに行ってくれたの?悪かったね」
「いいえ…売れてしまう前で良かったです」
息を切らせた羽海からワンピースを受け取った男は、ニコリと白い歯を覗かせた。
ほっと安堵の溜め息が漏れる。
会計を済ませ、商品の入った袋を手渡した。
「ありがとうございました。お気をつけて」
「ありがとう、矢吹さん。期待以上だったよ」
「え…?」
期待以上…ってどういうこと?
それに、私の名前…ネームプレートを見たのだろうか。
羽海が何か言う前に、男はさっさと背を向けて去っていってしまった。
「今の人、あなたが接客したの!?」
「わっ!……加瀬さん!お帰りなさいませっ」
突如隣から緊迫した声が聞こえ、羽海はビクリと肩を震わせた。
昼休憩から戻ってきた雛乃に、すごい形相で見つめられている。
フランス人形の如く可愛らしい顔ゆえ、その迫力はかなりのものだ。
「あなたが接客したの?って訊いてるの。どうなの!?」
「は、はい!私が対応しました」
羽海の答えを聞いた雛乃は、はあーと深い溜め息をついた。
「あの人、ここの常務執行役員の桜井 陸(リク)さんよ」
「え!?」
その名前は、羽海も知っている。
最も、上部に桜井というイケメンがいるとどこかで耳にした程度で、詳しくは知らない。
「有名私立大学の商学部を卒業して、ここに入社。27歳にしてすでに常務執行役員。若手一番の出世頭で、ゆくゆくの社長候補でもあるって言われてる人よ」
「しゃ…社長候補…ですか」
「時々、現場の視察に来るのよ。さっきみたいにね。お客様に丁寧かつ心のこもったサービスが行き届いているかを、チェックするために」
「……では、私はさきほど…」
「ええ、あなた、試されてたのよ」
そういうこと…だったのか。
まるで抜き打ちテストだ。
桜井さんは、同じブランドの商品が1階にあることを知っていたのだろう。
その上で、店員がお客様のために機転を利かせられるかどうかを見ていたのだ。
「何か、失礼に当たることをしなかったでしょうね?」
雛乃の冷たい視線に射抜かれ、思わず小さくなった羽海に、助け舟が出された。
「失礼に当たらなかったのは矢吹さんのお陰です」
「広岡さん…」
「矢吹さんが1階で同じ商品を扱っているからって、走って取りに行ってくれたんです。彼女がいなければ…今すぐ欲しいとおっしゃった桜井さんを、2週間も、お待たせしてました…」
それを聞くと、雛乃は何も言わず、面白くなさそうにフイと踵を返す。
「矢吹さん、ごめんなさいね。加瀬さんは…」
「分かってます。悪気はないんですよね。だた仕事に一生懸命なだけで」
だから、彼女と同じくらい、いやそれ以上に頑張りたい。
そうすれば認めてもらえるはずなのだ。
*
疲れた身体に鞭打って、更衣室のドアを開けた。さすがに大型連休は人が絶えない。忙しいだろうとは思っていたけれど、これほどとは。
先に着替えていた馴染みの従業員に順に挨拶をしていく。
「お疲れ様です」
最後に雛乃に向かって声をかけたが、やはり無反応だった。
めげないめげない…と心の中で唱え、ロッカーの鍵を取り出す。
「その顔、何とかならないの?」
「え?」
「あなたのメイクのことよ。もう少しちゃんとできないの?」
前置きなしの指摘に、一瞬何のことか分からなかった。
固まる羽海に、厳しい口調の雛乃。しかし、その目に以前のような蔑みの色はなかった。
「お金がないんです。実家の事情もあって、生活をしていくのがやっとの状況で。だから贅沢品は…」
「メイク道具は贅沢品じゃないわ」
「え…」
「お客様の前に出る仕事なのよ。きちんと化粧をするのは最低限のマナー。いくらサービスが良くても、見た目でお客様を不快にさせてはいけないの」
ここは田舎のスーパーじゃないのよ、と雛乃は付け足した。
「クマやくすみのある暗い顔も、少しお金と手間をかけるだけで、感じが良くて明るい顔になるわ。…お客様の立場だったら、どちらに接客された方が気分が良いか、分かるでしょ」
それだけ言うと、雛乃はバッグを手にさっさと出て行ってしまった。
……確かに、そうだ。
考えたこともなかった。人が見た目から受ける印象なんて。
ずっと、自分を基準に考えてしまっていた。
百貨店にいらっしゃるお客様は、皆きちんとした身なりで、上品で。
そんな人たちが私を見てどう思うか。
気がつけないことでは、なかったのに…。
着替えの途中だった羽海は、制服のスカートにカットソーのまま、更衣室を飛び出した。
階段を駆け上がり、外へと続くドアを開ける。
辺りを見渡し、まだそう遠くはない艶やかなロングヘアーの後姿を見つけて。
叫んだ。
「加瀬さんっ!ありがとうございますっ!!」
何事かと視線を寄越す通行人。雛乃もこっちを振り向き、目を見開く。
「今月お給料が入ったら、買いますねーっ!化粧品ッ!!」
「分かった!分かったから戻りなさいっ!!」
雛乃は血相を変えて従業員用出入口を指差す。
スキップをし始めそうな勢いで階段を下る羽海。
その顔は、フニャリと緩みきっていた。
シカト、されなかった。
悪いところを注意してもらえた。
それはつまり、雛乃なりのアドバイス。
やっと少しだけ…認めてもらえたのかもしれない。
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