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「また抜き打ちテストですか?」
「人聞き悪いなあ。今日はそんなんじゃないよ。人との待ち合わせまで時間があるから、少しブラブラしようと思ってね」

 悪戯っぽく問う羽海に、陸は苦笑で返した。
 小姑みたいな上司だと思われちゃったかな、と弱りきった顔をする陸だが、そんな様子でさえ映画のワンシーンのように様になっている。
 
「仕事終わりにショッピング?」
「そのような洒落たものではありませんが…少し、洋服を買いに」
「へえ、君だったら…カジュアルよりもフォーマル寄りが似合いそうだな」

 それは奇しくも雛乃と同じ意見だった。
 雛乃と陸が言うのだ、その通りにすれば間違いないのだろう。
 よし、と購入の意志を新たにする羽海をよそに、陸は近くにディスプレイされていたワンピースを眺め、これ…良いかもしれないな、と一人呟いた。

「矢吹さん、これ着てみない?すいません、店員さん!この子、これと同じヤツ試着ね」
「え…ちょっと待ってください……!」

 店員は、未来の社長候補の来店に気がついていたようだ。
 すぐさま駆けつけ、こちらです、と恭しく羽海をエスコートする。
 突然の事態について行けずうろたえるが、陸は無情にもヒラヒラと手を振るだけだった。


「着替えた?」
「う…はい…」
 返事をするや否や、躊躇いなく試着室のカーテンが開けられる。
「やっぱり、すごく似合ってる」
 陸は恋人にするような甘い笑顔を見せた。
「……少し丈が短くないですか?」
「いいえ、このワンピースはどちらかというと丈は長めです。お客様は足がお綺麗ですから、もう少し短くても良いくらいですね」
 近くにいた店員が、営業スマイル全開で言う。
 お世辞だと分かっていても、案外悪い気はしないものだ。

 明るいベージュ系の色使いが夏らしく、白襟のデザインが少しレトロな雰囲気のワンピースは、腰の下辺りからダークグレーの控えめなレース地に切り替わっている。
 細身のシルエットが、華奢な羽海に良く似合っていた。
 プライベートでこんな服を着たのは、いつぶりだろうか。もう、思い出せないくらい昔のことだ。
 いつの頃からか、羽海のクローゼットからはスカートやワンピースが消えていて。

「買ってあげよっか?ソレ」
「は?」
「いや、あんまり可愛いからさ」
「じょ…冗談は止めてください!安いものではないのに…って、安いものでもダメですけど…!とにかく自分で払いますからっ…」

 一体何なのだこの人は。
 先ほどから歯の浮くようなセリフを照れもせずに言ってのける。
 普段褒められ慣れていないため、どう反応して良いか分からず、嬉しさよりも戸惑いが先に立った。
 さすが、若くしてトップの座が約束されているエリートは違うな、と見当違いなことまで考えてしまう。


 結局、陸が選んだワンピースとミュールを購入した。
 ミュールを買ったのは、その服に合う靴、持ってるの?という陸のもっともな指摘に納得したからだ。
 羽海が持っている履物といえば、いつものスニーカーと、スーツ用のパンプスだけ。購入したワンピースを箪笥の肥しにしないためには、必要な出費だった。

「君、今からヒマ?」
「はい、特に予定はありませんが」
「それなら、買った服に着替えてどこか食事にでも行かない?」
「はあ……って、お約束があるのではなかったのですか?」

 突然誘われ、羽海の目は点になる。
 先ほど目の前の上司の口から"待ち合わせ"と聞いたのは気のせいだろうか。そういえばショッピングの間中、彼が時間を気にする素振りは一切なかった。
 どういうことだと首をひねっていると、女性が一人、こちらに向かって駆けて来る。

「陸ー!遅れてごめんね。仕事長引いちゃって」
 感じの良い笑顔を浮かべるその女性は、以前雑貨店で会った人とは別人だ。
「お疲れ様。せっかく来てもらって悪いんだけど、今日はこの子と食事に行くことになったんだ」
「えー…なあにソレ。せっかく頑張って切り上げて来たのにぃ!」
 頬を膨らませる女性に、慌てたのは羽海だ。食事など行かないと、否定の言葉を発しようとするが、陸の方が速かった。
「ごめんな。今度埋め合わせするから」
「ん、絶対だよ?」
 女性は上目遣いで瞳を潤ませている。かと思えばさっさと携帯を取り出しはじめた。話している内容からして相手は男なのだが、傍にいる陸を気にする様子は全くない。
 どうやら別の約束を取り付けることができたらしい。すっかり機嫌が直った女性は元の笑顔で去っていく。
 一方状況が飲み込めない羽海は、呆然と事の成り行きを見守るしかなかった。


「これで俺もフリー。さ、食事に行こうか」
「あの…もしかして桜井さんは……不特定多数の方とお付き合いしてらっしゃるんですか?」
「まさか。俺はそんなにモテないよ。なに?そんなこと気にしてくれてんの?」
「……」

 モテないなんて、絶対に嘘。
 キレイな笑顔の裏に真意を隠しているのだ。
 この人…相当くせ者かも。
 羽海はコクリ、と唾を飲み込んだ。何か、断る口実を考えなければ。

「私、自転車で来てるんです。ここに置いて行くのはちょっと…」
「一度家に帰ればいい。俺、車だから、大体の場所教えてくれれば迎えに行くよ」
「先ほど服を買ってしまいましたので、お金がありません」
「もちろん君の分も払う」
「いけません。払っていただく理由がないです。第一申し訳なさすぎます!」
「上司が部下に軽い夕食を奢るのに理由なんかいるの?友好関係を築き、仕事を円滑に進められればと思ってのことだ。それ以上でも以下でもない」
「……」

 ああ言えばこう言うで、間髪入れず返答を返される。
 しかもきちんと筋が通っているものだから余計タチが悪い。そのあたりはさすが社長候補と言うべきか。自分の拙い答弁ではとても敵いそうになかった。
 そもそもこれだけ立場に差があるのだから、断るのは難しいだろう。
 ふう、と一つ息をつき、羽海は覚悟を決めた。

「分かりました。ご一緒させていただきます」





 高級車の助手席に乗せられ、連れて行かれたお洒落な店。多分、フレンチとかイタリアンとかそういう類の。
 何も注文していないのに前菜らしきものが出てきて、羽海は仰天した。
 どうやら既に料理を予約してあるようだ。

 ここ、相当高いお店なんじゃないかな…。
 だからと言って今更やっぱり帰りますとは言えない。ここで自分だけが店を出れば、恥をかくのは陸。ここは腹を括ってディナーを楽しむしかないのだ。


「噂になってるよ、矢吹さんのことは」
「え?」
「新入社員で、すごく熱心な子がいるって」
「…ありがとうございます。光栄です」

 面持ちは穏やかなのに、陸の目には鋭い光が宿っていた。

「毎朝早くに出勤して、勉強や清掃をしてるらしいね。どうして?」
 陸は、優雅な動作で前菜を口に運ぶ。
「私がそうしたいからです。皆さん喜んでくれますし」
 一方の羽海は、慣れない場と料理に必死だった。陸の所作を観察し、おそるおそる食べ物をつつく。
 凛以外の人と外食をするのは初めての経験。しかも、経済的な事情ゆえ、チェーン店や喫茶店くらいしか経験がない。コース料理など雲の上の世界だ。
 陸は羽海の苦戦っぷりを面白そうに眺め、質問を続けた。

「喜んでもらえることをするのは、先輩や上司に気に入られたいから?」
「いいえ、恥ずかしながら、そんな大それたものではなく…ただ嬉しいからというだけです。皆さんに喜んでいただけるのが」
 だから単なる自己満足です、と羽海は言う。
「それって、ともすればありがた迷惑にもなりうるよね?」
「そうですね。でも今の私には、早く出勤して勉強や掃除をするくらいしかできないので…」

 地味で愛嬌がなくて、気の利いた話の一つもできない。もちろんお金も地位もない。
 そんな私が、笑顔をもらえる唯一の方法。

 ふと気付けば、クスクスと楽しそうに笑う陸。
 端整な顔が思い切り目尻を下げ、声を殺している。

「あの、私、何かおかしいこと言いました?」
「いや、本物だと思ってさ」
「はあ…」

 言葉の意味が分からずに眉を顰めていると、目の前にメインの肉料理が置かれた。
 美味しそうだねと目の前の上司が微笑む。
 店に着いたときの緊張は、いつの間にか解れていた。




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