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 翌日、珍しく出勤時間ギリギリに起きた羽海は、眠い目を擦りつつ猛スピードで自転車を漕いだ。
 昨晩は着ていく服を決めるのにことのほか手間取ってしまって。
 なんとか自分なりに大丈夫だと思える組み合わせを選んだものの、あまり自信はない。
 朝礼が始まる直前、滑り込み出勤をすると、ご多分にもれず注目の的となった。

「おはようございます!今日から2週間お世話になります、矢吹羽海と申します!」

 緊張を押し殺してなるべく大きな声で挨拶。何事も最初が肝心だから。
 だが、フロアにいたスタッフの面々はチラリと羽海を流し見ただけだった。挨拶を返すどころか、お辞儀の一つさえない。
 あれ?皆さんクールだな…。
 新人なのに出勤が遅かったから顰蹙を買ったのだろうか。

「羽海さん、おはようございます。今日からよろしくね」
「麗奈さん…こちらこそ、よろしくお願いします」
「ご挨拶がなくてごめんなさい。皆さん、バーゲン初日だからピリピリしておられるのかも…」
 自分のことのように申し訳なさそうに言う麗奈。
 一方羽海は、無視された理由が分かり安堵していた。
「なるほど。そうですよね、私も気を引き締めていかないと」
「……そうね。それより今日の格好、素敵!見違えたわ」
「ほ…本当ですか!?…実は、少し不安だったんです」

 上品な彼女に褒めてもらえるとほっとする。
 あとは、借り物の衣装を汚さずに気をつけて仕事をすればいい。基本的な接客方法は子ども服売り場とそう変わらないはずだ。
 ふう、と一つ深呼吸をし、朝礼のために集合し始めるスタッフたちに加わった。





 バーゲンの忙しさは予想以上だった。羽海の仕事は雑用全般。レジに並ぶ列の整備や、試着待ちの人への番号札の配布などだ。
 それだけでも十分追いまくられているのに、散らかった商品を整理する時間も作らなければならない。
 客もスタッフも普段と比べてかなり多いので、フロア内にはコンサート会場の如く熱気が溢れていた。

 売れ行きの良い商品を在庫からフォローしようと裏にまわると、部門リーダーから昼休憩の指示が出た。混み合う食堂で、昨晩作っておいた弁当を片手に空席を探す。
 と、突然後ろから腕を引かれた。

「わっ…!とと…あ、加瀬さん…!お疲れ様です、今から休憩ですか?」

 慌てて振り返ってみれば、そこには見慣れた上司の姿。よろしければ一緒に食べませんか、と言おうとして、口を噤む。
 心なしか彼女の顔が青いような……気のせいだろうか。
 朝から慣れない現場で、よく知らないスタッフと共に仕事をしていた羽海。やはり不安を拭いきれていなかったのか、偶然馴染みの人物に出会っただけで、じんわりと安心感が込み上げてくる。

 ところが、雛乃の第一声は、そんな羽海の温かな気持ちを見事に吹き飛ばしてしまった。

「昼休憩ですか?じゃないわよ…。あなた、何て格好してるの!」
「…え?…えっとー…」
「その格好よ!まさか朝からそれで仕事してたなんてこと…」

 サーという音が聞こえてきそうなくらい急激に青ざめた部下の顔を見て、上司は瞬時に答えを察したようだった。


「あのう…この服、なにか変でしょうか…?」
「服は変じゃないわ」

 空いた席に雛乃と向かい合って座り、意を決して訊ねてみる。
 返ってきた言葉は予想通り。麗奈が貸してくれた服なのだ、おかしなものであるはずがない。ということはやはり…。

「その合わせ方よ」
「……ですよね…」
「そのトップス、2階に入ってるブランドのものね。値段もそれなりに張る。どうしてあなたがそんな高い服を持ってるの?」
「それは…」

 羽海は、服を借りるに至った経緯をかいつまんで話した。
 昨晩初めて縁のなかったコーディネイトに挑戦し、苦労したことも。
 すべてを聞き終えると、雛乃は納得したように頷き、口を開いた。

「…あなたには難しい話かもしれないけれど……」
「はい」
「今着てるその服、トップスもボトムスも、斬新さがウリなのよ」
「はあ…」
「他にない奇抜なデザインを着るにはね、高いセンスと、それなりのプロポーションが必要なの。つまり大抵の人は上手く着こなせない」
「……」
「ましてやあなたは、つい最近までファッションに興味がなかったんでしょう?どう考えたって、身の丈に合っていないわ」

 つまり、猫に小判というわけか。
 自分が麗奈の服を借りて着るなんて、初めから無理な試みだったのだ。
 確かに体型はそう変わらない。だが、お洒落な服を着る上で重要なことはそもそも全く別のところにあった。

 だから朝、あんなに皆の態度が冷たかったんだ……。
 何年もファッションの仕事に携わってきた人たちから見たら、私のこの姿はさぞ滑稽だったことだろう。
 お客様だってそうだ。お気に入りのショップに来て、残念なファッションの店員がいたら…。
 きっと冷める。この人からは買いたくないと思う。せっかくの素敵な服も色あせてしまう。

「酷なことを言うようだけど…あなたの今の格好、安い服を適当に着ているよりタチが悪いわよ。良い服なのにその良さをあなたが殺してる。お洒落な人が一番嫌悪することだわ」
「……!」

 耳が痛い指摘だった。頭の上に雷が落ちてきたような衝撃。
 同じだ…。メイクの時と…。私は、何も成長してない。
 お客様を不快にさせて、スタッフの方々に迷惑を掛けて…。
 だけど、だからこそ…このままじゃ終われない。助っ人期間はまだ始まったばかりなんだから。

 羽海は雛乃を正面から見据え、そして深々と頭を下げた。

「加瀬さん、お願いします…!服のこと、私に教えてください」
「……」
「今日、仕事が終わったらすぐ家に帰って…借りた服、携帯カメラで撮って戻ってきます。加瀬さんの仕事が終わるまで待ってますから…。少しの時間で構いませんので写真を見てアドバイスをもらえませんか…?」

 忙しい時に、無茶なことを頼んでいるのは百も承知だった。しかし、断られるだろうと思っていたその請願は、あっさりと受け入れられて。

「いいわ、当たり前じゃない。あなたは私の部下よ?それに、直接的な決定は下していなくても助っ人を頼んだのは私。できる限り協力するわ」
「…あ…ありがとうございます…っ!」

 雛乃の優しさに目頭が熱くなった。
 彼女の言葉は厳しい。けれどそれはすべて羽海のためで、すべて…的を射ているのだ。
 見て見ぬフリの人がほとんどの中、雛乃だけはいつも嫌われ役を買って出てくれる。

 いくら相手のためとはいえ、少なからず傷つけてしまうことを分かっていて厳しい指摘をする。
 普通は…できない。
 麗奈は朝、この格好を素敵だと言った。だが内心では戸惑い、がっかりしていたに違いない。
 お世辞を言った彼女を責める気持ちはなかった。自分が貸した服だもの…注意しづらいのは当たり前だよね…。

 麗奈のためにも、明日からはきちんとした格好で出勤しなければ。
 ぐ、と拳を固め、羽海は改めてそう決意した。





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