21





 "歳月人を待たず"と言うが、忙しくあればあるほど、時が経つのははやいものだ。
 2週間の助っ人期間は、既に最終日を迎えていた。

 あれから、羽海は雛乃の助言通り自分にできることをしたつもりだった。
 朝は誰よりも早く出勤し、フロアの清掃をする。
 時間が余れば、ベテランスタッフのコーディネートを見て勉強する。
 もちろん、自分なりに商品をどう合わせるか、考えてみたりもした。
 それが功を奏したのだろう。客にアドバイスをするまではいかないが、訊ねられたことに対し、それなりに答えられるようにはなった。
 雛乃が考えてくれた服装で出勤すれば、冷たい態度を取られることもなかった。
 やはり自分の格好がいけなかったのだ。
 近々彼女を部屋に招き、手料理をご馳走しよう、と羽海は固く心に誓った。


「矢吹さん、おはようございます。いつもありがとう」
「おはようございます、今日も頑張りましょう!」
 モップ掛けをしていると、顔馴染みとなったスタッフの明るい声が飛んできた。
 羽海も笑顔で挨拶を返す。

「あ!矢吹さん!そういえばあなた、今日で最終日だったよね?残念だわ、ずっといてくれても良いのに」
 嬉しい言葉を掛けてくれたのは、別の先輩スタッフだ。
「はい…私もせっかく皆さんと打ち解けてきたのに…寂しいです」
「戻ってからも頑張ってよね」
「はいっ」

 当初は不安でいっぱいだったものの、自分なりに精一杯仕事をすれば、スタッフは皆、羽海に良くしてくれて。
 接客態度もなかなかだ、と高評価をもらえた。
 慣れた売り場に戻りたいという思いはもちろんあるが、一方でここを離れることを寂しいとも感じていた。


「矢吹さん」
「あ、麗奈さん!おはようございます」
 次々と社員が出勤してくる中、一際目立つその姿に羽海は微笑む。
「今日で最後ね」
「はい、たくさんお洋服を貸していただいて本当にありがとうございます」
「そんなのはいいのよ、それより今晩、私の家で夕飯でもどうかしら」
「麗奈さんのお宅でですか…?」
「ええ、羽海さんの働きには本当に助けられたから、是非ご馳走したいわ」

 以前、服を借りる際に訪れたことのある菅波家。どうやら彼女は、あの豪邸で食事をしようと言っているようだ。
「そんな…悪いです。どちらかと言えば私がご馳走したいくらいで…」
 ご馳走と言えるほど豪華なものはもちろん出せないが、服のお礼はしたい。
「あら、それとこれとは別よ。もちろん羽海さんがご馳走してくれるなら喜んでお伺いするわ。だけど今日は最後の日だし…ちょっとした送別会のようなものだと思って、ね、良いでしょう?」

 惚れ惚れするような笑顔で言われれば、それ以上拒むことはできなかった。
 彼女には良くしてもらってばかりで少々負い目を感じたが、本人が是非にと言ってくれているのだ。ここは素直に甘えよう。
 ありがとうございます、と頭を下げれば、麗奈の顔がぱっと輝く。
「嬉しい!たくさんお話しましょうね」
 軽い足取りで自分の持ち場へと急ぐ後姿は、傍目からも浮き浮きして見えた。





 アパートの自転車置き場に愛車を停め部屋に戻り、キャットフードをトレイに入れる。甘えるように摺り寄ってきた小さな頭を撫でてから、再び玄関を出た。
 近くまで迎えに来てくれた麗奈の車に乗りこむと、ふわりとフローラル系の香りが鼻を掠める。彼女のイメージに合っているな、と頭の片隅で思った。

「どうぞ、入って」
 ガレージで車を降り広大な庭をしばらく歩けば、やがて豪奢な玄関扉が現れた。使用人が恭しく扉を開ける。
 庭の外から見た時も大きな家だと思ったが、近くで見るとより壮麗さが際立っている。
「お…お邪魔いたします…」
 おそるおそる玄関に足を踏み入れると、広い廊下に並んだ使用人たちが、お帰りなさいませ!と一斉に頭を下げた。

「食事の用意はできているわね?」
「はい、お嬢様」
「ご案内して」
 慣れた様子で指示を出す麗奈を、羽海は呆然と見つめた。
 薄々は気付いていたが、やはり。彼女はお金持ちの家のご令嬢だったのだ。

「お口に合うかしら?」
「は…はい!とても美味しいです!」
 何十万、いやもしかすると何百万もしそうなテーブルが置かれた広い部屋。そこに美女と向かい合って座り、五つ星レストランで出されるような料理を食べる。
 とりあえず美味しいと答えたが、緊張からか正直味はよく分からなかった。

「それにしても、羽海さんの評判は上々だったわね」
 しなやかな動作で口元を拭い、麗奈はゆるりと微笑んだ。
「そんな…恐れ多いです」
「嫌だわ、謙遜しないで。これからもずっと婦人服にいてほしいくらいだって皆さんおっしゃってたわよ」
「…麗奈さんが服を貸してくださったお陰です」
「…そうかしら」
 手で控えめに口元を隠し、クスクスと鈴が鳴るように笑う彼女。
 どこか、違和感がある。

「れ…麗奈さん…?」
 何かが、おかしい。
 直感がそう訴えた。目の前にいるのは紛れもない麗奈本人であるのに、別人のように思えるのは…何故だろう。
 こんな笑い方をする人ではない。こんな、人を嘲るような…。
 しかし、笑いの収まった彼女は、次の瞬間耳を疑いたくなるような言葉を発した。

「私が好意であなたに服を貸したと、本気で思っているの?」

「……え?」
 訳が分からず呆ける羽海を見て、麗奈はおかしくて堪らないと言わんばかりに口角を吊り上げた。
「わざと着づらい服を渡したの。狙い通り、初日のあなたの格好は傑作だったわ。なのに2日目からはちゃんと無難に合わせてきちゃって…誰かに助言でもしてもらった?」
「……」
「してもらったのよね、あなたのセンスであんな風にコーディネートできるわけがないもの」
 麗奈の歪んだ笑みが、いっそう深くなる。
 先ほどまでの花のような微笑みは、どこへいってしまったのだろう。
 あまりの衝撃に頭がついていかない。決して好意的ではない、突き刺さるような視線を向けられているのは…どうして。

「嘘、ですよね?…麗奈さんは私と…お友達になりたいと、言ってくださいました」
 どうか否定して。冗談よ、といつもの柔らかい声で笑ってください…!
 そんな羽海の願いも虚しく、麗奈の表情は変わらなかった。

「友達になんてなりたいわけないでしょ。私はあなたのことが大嫌いなんだから」

 華やかな彼女の顔に、今は憎しみだけがのっている。
 ゾクリ、と悪寒が背筋を這い上がり、身が竦む。
 だが、怯えている場合ではない。

「あの…私、何か麗奈さんの気に障ることをしたのですよね。教えてください…!きちんと反省して、謝りたいです。大したことはできませんが…精一杯償いたいです」

 自分のせいで麗奈を嫌な気分にさせてしまった。
 嫌われていたという事実よりも、そちらの方が羽海の心を締め付けた。
 少しでも彼女の気持ちが晴れるのなら、自分にできることは何でもしたい。

「……あなたのそういうところが大嫌いなのよ」
 臆すことなく、どこまでも真っ直ぐな態度の羽海から視線を逸らし、麗奈は乾いた笑みを浮かべた。
 吐き捨てるように呟かれた言葉は、今の彼女の心境を如実に表しているようだ。


「いやー見事に正反対の二人だね」

 張り詰めた空間に突然聞こえた第三者の声。
 羽海と麗奈が驚いてドアの方を見やると、そこにはいたのはなんと、陸だった。

「桜井さん…!?」
「陸…」
 二人の女性の声が重なる。
 麗奈の顔が瞬時に強張った。
 どうして彼がここに。麗奈は彼も夕食に招待していたのだろうか。しかし、もしそうであるなら彼女が驚くのはおかしい。
 場の雰囲気などお構いなしに、陸はニコニコと穏やかな笑みを浮かべている。

「今日が最終日だからもしかしたらと思って来てみたけど、俺のカンは当たってたみたいだ」

 コツ…コツ…と磨き上げられた床に革靴の音を響かせて。
 ゆっくりと近づいてくる彼の目の奥は、楽しげな色を帯びていた。





 面白かったらぽちっと
↓とても励みになります
web拍手 by FC2

inserted by FC2 system