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「どうやってここに入ったの?」
「君の"恋人"の桜井陸だと言ったら、簡単に通してもらえたけど」
 笑顔のままの陸に反して、麗奈の顔はみるみる険しくなってゆく。
「……都合の良いときだけ恋人のフリをするのね」
「お互い様だろ。君も、都合の良いときだけ善人のフリをする」
「……」

 口元だけで微笑んでいる陸は、低い声で言い放った。鋭い眼光が麗奈を捕らえる。
 座ったままで唇を噛み締めている彼女は、陸の方を一度も見ない。
 突然の思わぬ人物の介入で、室内はますます不穏な空気に包まれていて。
 羽海は、ただただ当惑することしかできなかった。

「盗み聞きなんてタチが悪いわね…いつから?」
「君が本性を現したところから」
 陸は、今にも唇を噛み切ってしまいそうな麗奈を見下ろし、言った。整いすぎているその顔には、表面上は穏やかな微笑みが浮かんでいる。

 突然、バンッ!と大きな音が部屋に響いた。
 麗奈が思い切りテーブルを叩いたのだと認識するまでに、数秒かかった。
 普段の品の良い彼女からは想像もつかない行動に面食らう。

「こうなることを狙ってたのね…!私を陥れようとして、この人に気のある素振りを見せたんでしょう!?」
 ネイルの施された細い指が、向かいに座る羽海を指す。
「人聞きの悪いことを言うなよ。俺が矢吹さんに惹かれたのは本心からだ。それに…陥れようとしたのは君でしょ。矢吹さんを婦人服のヘルプに来させて」
「……!」
 言葉を失った麗奈に、陸は畳み掛けるように言った。

「彼女に恥をかかせるために、百貨店を動かす権限を持っている父親に掛け合ったんだろ」

 今度こそ、麗奈は絶句した。
 綺麗に化粧を施された目が、これ以上ないくらいに見開かれている。
 しかし、驚いたのは羽海も同じだ。
 婦人服部門にヘルプで入るようにとの突然の指示。あれがすべて麗奈の仕業だったなんて。
 …私に、恥をかかせるために……?

「傑作だな。自分じゃ何もできなくて父親にまで頼って、わざわざコーディネートしにくい服を揃えて…」
「……」
「そこまでしておいて、結局は失敗に終わってるんだから」
「…」
「今日矢吹さんを招待したのは、友人だったはずの君が本性を見せることで彼女を傷つけようと思ったからだろ。計画が思い通りに行かなかった腹いせに、な」

 麗奈の身体は震えていた。
 前髪の陰に隠れて表情は伺えない。きつく閉じられた口から、ギリリと歯を食いしばるような音が聞こえた。
 いけない、と羽海は直感で悟る。もう止めてください、と陸に静止の声を上げようとした、その時。
 固く引き結ばれていた麗奈の唇が、動いた。

「ムカつく」
「え?」
「あんたを見てるとイライラするのよ!地味で、貧乏で、外見も大したことない癖に私の欲しい物を全部手に入れて!今回だって、自分の服もろくに合わせられないくせに皆に気に入られて…っ!鬱陶しいのよ!!」
 ガタン!と大きな音をたてて、麗奈のチェアーが後ろ向きに引っ繰り返った。
 立ち上がった彼女は、血走った目で羽海を睨み付けている。
 騒ぎを聞きつけて駆けつけた使用人に、入ってこないで!と息荒く捲くし立てる麗奈の化けの皮は、完全に剥がれていた。

 くつくつと押し殺した笑い声が聞こえた。見れば、陸がおかしくて堪らないというように身を捩っている。
 笑い声はやがて爆笑に変わり、あははははと甲高い声が部屋中に反響した。
 呆気に取られている羽海には構わず、笑いの収まった陸は、麗奈を氷のような視線で射抜く。

「本当に、自分のことしか考えていないな」

 聞いたこともないような冷ややかな声だった。いつも目にしていた女性に優しい陸と、同一人物とは思えない。

「表面上だけは他人に優しい言葉をかけて、君は人一倍自分が可愛いんだ。誰かのためにというのは建前で、腹の中で自分の利益になることだけを考えている。そりゃあ、そんな人間とは誰も関わりたくはないだろうな」

 麗奈の眉間に皺が寄った。
 震える掌を握りしめ、陸を睨みつけている。
「さっき、正反対だと言ったのはそういう意味だよ。君は一生矢吹さんには勝てない」
 コツ…コツ…と静かな音をさせ、陸は羽海に歩み寄った。
「おいで、俺の車で送って行く」
 先ほど麗奈に向けられた視線とは真逆の、柔らかな笑顔。
 そっと手を取られ、羽海は反射的に立ち上がる。
 大きな手に肩を引き寄せられて、初めて、自分の身体が震えていたのだと知った。

 仲良くなりたいと言ってくれた麗奈。安くて美味しい店がある、と食事に誘ってくれた麗奈。
 すべて、嘘だったのだろうか。
 向けられていた優しさは、偽物だったのだろうか。
 本当は、私のこと…憎くて仕方がなかった…?
 考えれば考えるほど、怖い。
 好かれていると思い込んでいた人から嫌悪されることが、こんなにも底知れない恐怖を生むとは。

「茶番に付き合わせて、悪かったね」
 穏やかなトーンで紡がれるその言葉には、少しの引っ掛かりがあった。
「どうして、桜井さんがそんなことを言うのですか…?」
 今回のことはすべて麗奈によってなされたこと。陸は関係ないはず。
 なのにどうして、彼が謝るのだ。
 ス…と肩にあった温もりが遠ざかる。
 少しの沈黙の後、隣に立っていた彼が、クスリと笑った。

「…やはり君は期待以上だよ、矢吹さん」
 どこかで聞いたことのある台詞。
 確か…そう、ゴールデンウィーク中、陸に抜き打ちテストをされた時に…。
 続けて陸から告げられたのは、信じ難い事実だった。

「君を採用するように人事に取計らったのは俺なんだ」
「……え?」
「今日のような日が来ることを見越して、君を採用した。蓋を開けてみれば、君は純粋に仕事面でも活躍してくれたけどね。今では会社に欠かせない人材だと思ってるよ」
「……そういうこと…だったのですか」

 どうりで。おかしいと思ったのだ。
 今時高卒で、しかも卒業してから6年も経っている人間を採用するだなんて。
 この就職難の時代に、何かの間違いではないか、と。
 内定の知らせを受けた時は、嬉しさよりも疑問の方が勝っていたことを覚えている。

「ちょっと…待ちなさいよ…!」
 羽海の手を引き、部屋から出て行こうとする陸を引きとめたのは、この豪邸のお嬢様その人だった。
「初めから、計算だったの…?私が陸のことを好きな気持ち…利用したの…?」
 真っ直ぐに陸へと向けられる麗奈の視線には、怒り以上に切なさが溢れている。
「そうだよ。長い付き合いだ、君の性格は嫌と言うほど分かってる。俺が矢吹さんのことを好きだと言えば、嫉妬に駆られて彼女を嵌めようとするだろうことは…予想できた」
「……」
「結果、君が惨敗して…醜い部分を曝け出すであろうことも。すべては温室育ちの我儘お嬢様を懲らしめたくてやったことだ。正直これほど効果があるとは思ってなかったけどね」

 そう言って、陸は口角を吊り上げた。
 私情で人事担当までも動かす。そうまでして彼が麗奈を懲らしめたかった理由は何なのだ。
 麗奈の行動は、まだ理解できる。
 好きな人が絡んだ嫉妬は、自分も経験したことがあるから。
 だが、陸は……?
 彼の気持ちが、全く理解できない。
 麗奈が取り乱す様子を眺めて、楽しそうに笑うのは…どうして…。


「ねえ」
 口を閉ざしていた麗奈が、突如声を発した。
 それが自分に向けられたものだと分かったのは、彼女の瞳に、先ほどまでの切なさがなかったからだ。
「あなたさっき、教えてくださいって言ったわね。あなたが私にした、"気に障ること"」
 ゆらりと羽海を見つめる麗奈。
 その表情は、笑っていた。
 ゾクリと冷たいものが背筋を走り抜ける。
 聞いてはいけない、と本能的に思った。が、彼女の声は容赦なく耳に侵入してくる。

「あなたと私は、双子の姉妹よ」





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