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 じっと見据えてくる麗奈の目を、信じられない気持ちで見つめ返した。
 確かに彼女は、"双子の姉妹"と言った。
 羽海と、麗奈が。

 どこか不安定に、危なげに揺れる麗奈の瞳。その奥の真意をはかりかね、羽海は狼狽する。
 彼女が何を言いたいのか分からない。そもそも話が突飛過ぎて真偽すら疑わしい。
 だがどこかで、それが真実なのだと訴える声がする。先ほどからずっと、何か重大なことが起こる前の兆候のようなものを感じていた。

「どういう…意味ですか?」
 やっとのことで搾り出した声でそれだけ訊いた。
「どうって、言葉通りの意味よ。…って、突然こんなことを言われても困るわよね、ごめんなさい。順を追って説明するわ」
 嬉々とした表情には、無邪気な子どもが蟻を一匹一匹潰していく様に似た、純粋とも言える残忍さがあった。

「あなたは、元々は菅波家の人間だったの。だけど、父と母の意向で追い払われた。…この家には、いらない子だったのよ」
 "いらない子"という言葉に、身体が硬直する。麗奈の方をまともに見られない。

「双子というだけで、必ずしも外見が似るとは限らない。双子が、一卵性双生児と二卵性双生児に分けられることは知っているでしょう。珍しいケースらしいけれど、私とあなたは二卵性双生児として生まれたの」
 話に聞いたことはあったが、詳しい知識のない羽海は混乱した。
 それを察したのか、麗奈は説明を続ける。
「二卵性は一卵性とは違って、外見や行動パターンがあまり似ることがないの。似たとしてもせいぜい兄弟レベル。私たちは外見もそうだけど、性格が決定的に父親似と母親似で分かれたのね。あらかじめ知らされていた私ですら、初めてあなたに会った時は自分の姉だなんて信じられなかったくらい」
「待ってください…!それじゃあ私の父と母は…」
 今までずっと本当の父母だと信じて疑わなかった二人は…。
「矢吹の家は菅波家の遠い親戚よ。あなたが五歳のときに、彼らの子どもとして育てることが決まったみたい。」
 スラスラと歌うように話す彼女は、呆然自失の羽海を無感動に眺めている。

 ――どうして私が追い出されたの?
 ――幼い私が、何かこの家に迷惑をかけるようなことをしてしまったの?

 訊きたいことは山ほどあるはずなのに、喉が干乾びてしまったかのように声が出なかった。
 言いたいことはすべて言い尽くしたのか。残された料理に手を付けないまま、麗奈は羽海の脇をすり抜け、部屋を出て行った。





「さっきの話だけど」
 車の助手席に座り、見るともなしに流れる景色を眺めいた羽海に、運転席に座る陸が切り出した。
「あれは負け犬の遠吠えだよ」
「……どういうことですか?」
 さっきの話だけで、脳は理解可能な許容量を軽く超えている。
 正直、今日はもう誰とも話したくない。
 突然双子の妹がいると知らされて。しかもどうやら嫌われているらしく。
 挙句に、自分の育ての親と生みの親が違うときた。
 ありえない。まるでドラマのような展開だ。

 菅波家を出てから、口を縫い付けられたように一言も喋らない羽海を気にしているのかいないのか。
 陸はマイぺースに話を続けた。

「君はいらない子なんかじゃない。むしろ君の両親は、君の幸せのために泣く泣く親戚に引き渡したと聞いたよ」
「……?」
 ますます疑問符を浮かべる羽海に、陸は小さく微笑んだ。
「菅波家は、昔から由緒ある大財閥でね、その家を切り盛りしていくのに君の性格はあまりにも不向きだったんだ」
 陸は、一般常識を幼児に説明するような口ぶりで言った。
「自分のことはそっちのけで他人のために動こうとする君の性分は、幼い頃から健在だったみたいだね。そういうところが、常に利益を追求しなきゃならないあの家ではマイナス要素になるんだよ。君の両親の判断は間違っていなかったと俺は思う」
 信号に捉まり、車が停車した。
 広々としたシートは、羽海には少し居心地が悪い。

「私、あの大きな家にいた記憶はありません…」
 再び車が動き出したのを見計らって、そう言ってみた。
 本当のことだった。羽海にとっては矢吹の家がすべてだった。貧しいながらも愛情を持って育ててくれた両親は、たとえ本当の父母でなかったとしても羽海の大切な人なのだ。
「もしかすると、ショックによる精神的な防衛機制が働いて、記憶を心の奥底に追いやったのかもしれない。五歳の子どもにとって、親元を離れて暮らすことは相当な負担になるだろうから」
「……」
「そんなに沈むことはない。君は菅波の家でも本当に君らしく生き生きと生活していたみたいだし」
「…え?」
 クスリと含み笑いをする陸を見つめる。
 街のネオンに照らされた横顔は、何事にも動じることのない出家僧のようだった。

「これは、あの家に長く仕えている使用人から聞いた話だけど…君は幼い頃から欲というものが全くなかったらしい」
「はあ…」
「服、菓子、玩具、ぬいぐるみ…。幼い子どもなら誰しもが欲しがる物に、君は一切興味を示さなかった。我儘を言うことも、駄々をこねることもほとんどない。強請れば大抵のものは手に入る環境にあったにも関わらずね。その代わり、いつも元気な笑顔を絶やさなかったんだそうだ。」
 陸は遠くを見つめ、懐かしそうに言った。
 まるで彼自身がその場にいたかのようだった。
「思い通りにいかないことがあるとぐずっていた妹に比べ、君は使用人から随分と可愛がられていたんだろう。妹は自ずと姉を羨むようになった」
 ただ、そんな妹のことすら、君は可愛がっていたみたいだけど。
 静かに語る陸は、始終穏やかな表情を崩さなかった。

「一度だけ…君の母親が五歳になったばかりの君に聞いたことがあった。どうしていつもニコニコしているの?ってね。君は何て答えたと思う?」
「……全く…覚えていません…」
「私が笑っていると皆も笑ってくれるから、と。そう言ったんだ。皆が嬉しいと私も嬉しい…って」
「……」
「母親はこの時、君を田舎の親戚の家にあずけることを決心したんだそうだよ」

 羽海の勤務する百貨店をはじめ、多くの事業を手がける菅波家。
 そこでは駆け引き、利益追求、欲望、打算、そういったものが渦巻き、絡み合っている。
 羽海は菅波家の人間として生きるにはあまりにも無欲すぎた。
 だから、菅波の両親は羽海を手放した。
 大切だからこそ、わが子の個性を潰してしまわないように。


 アパートに帰り着き、熱いシャワーを浴びた後も、頭は冴えていた。
 フローリングの上にじかに敷かれた布団に横たわる。
 引っ越す前、ベッドを買ってやると言ってくれた両親。その心遣いには感謝しつつも、丁重に断った。
 傍らで丸くなるマロの背中が規則的に上下を繰り返すのを、ぼんやりと眺める。
 いつも通りの六畳間。パソコンどころかテレビすらもない、質素な生活。
 こうしていると、今日あったことはすべて悪い夢だったのではないかと思えてくる。

 本当にそうだったらいいのに。
 明日、目が覚めたらいつも通りジョギングをして、出勤して。
 麗奈に服を返しに行って、御礼を言ったらいつものように華やかな微笑みを返してくれるのだ。
 豪邸に生まれたのは彼女だけで、私は矢吹の家で生まれて、育ったのだ。


 ――あなたのそういうところが大嫌いなのよ

 吐き捨てるように告げられた麗奈の言葉が、まだ耳に残っている。
 米神を伝う温かい液体を無視して、羽海は静かに目を閉じた。





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