「ほ…本当ですか…!?」
「こんな不毛な嘘ついてどうすんだよ」
凛はあっさりと肯定したが、俄かには信じがたい。
当時、蒼とは言葉を交わしたこともなく、それどころか認識さえしていなかったのだ。
まして羽海は校内で浮いた存在だった。
伸ばしっぱなしの黒髪を頭の後ろで一つに束ねたヘアスタイルは三年間変わることがなく、制服のスカートは膝下丈で、化粧をすることもなかった。
可愛い文具も持っていないし、通学カバンにストラップをつけることすらしなかった。
異性の目を惹く要素など、これっぽっちもなかったはずだ。
「お前、信じてねえだろ」
「……」
無言を肯定と取ったのか、凛は思い切り目をすがめる。
次の瞬間、バチン!と派手な音がして、羽海は弾かれた額を手で押さえた。相当、痛い。
「謙虚なのもいいけどよ、もう少し自分に自身持てって。学生ん時から言ってんだろ」
腰に手をあてた仁王立ちの凛が、容赦なく言い放つ。
身長があるだけに機嫌の悪い彼女との対峙はかなりの迫力だ。
「別に天狗になれって言ってんじゃねえよ。ただお前にはお前なりの良いとこがあるんだ、あんまり自分を下げんな」
「……」
「お前、校舎の周りのゴミ拾いとかやってただろ。蒼はそういうお前をいつも見てた」
ついさっきまで不機嫌丸出しだった凛は、悪戯を思いついた子どものような顔をしている。
「アイツは奥手だぜー。そこそこモテて経験もそれなりにあるのに、自分から好きになった女には卒業するまで声掛けらんねえの」
そう言って、凛はクク、と可笑しそうに喉の奥で笑った。
「…本当に…?」
「しつけーなー。さっきから言ってんだろ」
「………凛ちゃん…私、う…嬉しすぎて…何が何だか…」
羽海の瞳からほろりと一滴雫が落ちた。
一度溢れ出した涙は、堰を切ったように流れ始めて止まらない。
好きになった人が、知らないところで自分を見てくれていた。
それだけでこんなに勇気をもらえるなんて。
羽海はくしゃくしゃの笑みを凛に向けた。
「一生分の幸せを…一気に貰ってしまったみたいです」
「アホか。こんなんでいちいち感動してたらこの先すぐに涙が尽きるぞ」
呆れたような友人の声音。しかし、それもいいかもしれないと思った。
蒼と一緒にいて流すのは、きっと嬉し涙ばかりだろうから。
凛を見送った後、羽海はクローゼットの引き出しの中にしまってあった指輪を取り出した。
陸が、羽海の五歳の誕生日に贈ったリングだ。
長い年月の経過とともに、ところどころメッキが剥がれ、色あせてきている。
記憶がなくなってもずっと大切にしていたのは、誰かが自分だけのために贈ってくれたものだと、潜在意識の中で思っていたからかもしれない。
銀色に鈍く光るそれを、そっと掌にのせた。
夕陽の光を反射し、小さいながらも確かな存在感を放っているそれ。
羽海は一つ息を吸い込むと、指輪をそっと不燃物のゴミ箱に落とした。
自分はきっと、蒼しか選べない。なら、手元に置いておくべきではないと思った。
幼い頃から大切にしてきたものだからこそ、余計に。
"信用しない方がいい"という陸の言葉など、もう頭には残っていなかった。
*
軽快なJPOPが流れる車内で、羽海は右隣をチラと見やった。
音に合わせて小さくメロディを口ずさみ、ハンドルを操っているのは蒼だ。
すでに一時間半も運転し続けているというのに、その表情に疲れは見えない。
そもそも、なぜ二人で長距離ドライブをしているのか。事の発端は一週間前に遡る。
「え、実家に帰ってない?」
「はい…ここ一ヶ月、一度も」
休みが取れた日は大抵実家の両親の家に顔を出していた羽海。
それを知っている蒼は、物言いたげな表情を浮かべる。
「本当の両親でないと聞いてから…何となく足が向かなくて」
母親からは何度もメールが来たが、その度に仕事が忙しいからと誤魔化していた。
「事実を知ってしまったから?」
「…はい。両親に会って、いつも通りの対応ができるかどうか…自信がないんです」
羽海は唇を噛んで俯いた。
その頭にポンポンと手を乗せた蒼が、ふわりと微笑む。
「…旅行、するか」
「え…」
意外な言葉に思わず聞き返した羽海を覗き込んだ顔は、どこか楽しげで。
「帰りがてら、地元観光しよ。田舎だけど、疲れた時にゆっくり過ごすにはピッタリの場所だし」
その時に矢吹のご両親にも会いに行こう、と蒼はサラリと付け足した。
そんなこんなで、今に至る。
羽海が住んでいた土地は蒼の故郷でもある。
決して都会とは言えないが、温泉街が栄えており観光名所もいくつかある。
久しぶりの羽海の二連休に合わせて蒼は有給を取ってくれたのだ。
「蒼さん、ありがとうございます。わざわざお休みを取っていただいて…車まで…」
「いーって。俺が矢吹と行きたかったんだし」
「わっ…私も!すごく楽しみにしてました」
勢い込んでそう言うと、蒼がクスリと笑みを漏らす。
その様子に、どこか引っ掛かりを感じた。
意識していなければ気がつかない程の小さなぎこちなさだったけれど。
何故だろう。いつも通りの彼、なのに…。
「うわ、懐かしいなー」
いつの間にか窓の外には見覚えのある風景が広がっていた。
海沿いの道の隣には海。陽の光を反射してキラキラ輝く地平線が続いている。
「あまりこっちには帰らないんですか?」
「んー…まあそうだな。帰省、一年ぶりくらいかも」
「そんなに!?」
大袈裟に驚いていると、蒼が苦笑いを作る。
「俺、親不孝だからなー。だから矢吹のご両親は幸せだろうなって思うよ」
「…そう、でしょうか…」
「そうだよ。こんなに親のこと考えられる娘、そういないって。自信持てよ」
「あ、凛ちゃんにも同じこと言われました」
「花村にも?」
「はい」
状況は違うけれど、どちらも羽海に自信を持てと言った。
やはり、二人はどこか似ている。
何でもないやり取りの合間に懐かしい風景を眺めていると、いつの間にか気持ちは随分とほぐれていた。
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