木製のドアがキィ…と小さく鳴った。いつもの窓際の席にはまだ誰もいない。
杏奈のことだから、時間通りには来ないんだろうな。
「ミルクティーと…チーズスフレ、ください」
相変わらず無口な、ミンクのマスターにオーダーを伝えた。
もう待ち合わせ時間過ぎてるし…先に注文済ませていいよね。
そう思ってたら、外からカツカツ…って急ぎ足のヒール音が聞こえた。
「ゴメンねー!咲、けっこう待った?」
「んーん、今来たとこだよ」
「さっすが!付き合い長いだけあるぅ。あたしのことよく分かってんじゃん」
「もー…調子イイこと言ってないで、遅れて来るクセ、直しなよ」
「あたしに直せると思う?」
「………」
この調子じゃ、彼女が待ち合わせ時間に間に合うことは一生なさそうだ。
体のラインがクッキリ出たミニのワンピース姿の杏奈は、さっさとオーダーを済ませ、単刀直入に切り出した。
「で、台風の中駅のホームで桐谷くんとイチャついてたって…どーいうこと?」
「…っな…!」
ワンピースが、杏奈の完璧なスタイルを引き立ててるなぁって、呑気に感心してた私。
ゴホゴホって飲んでたミルクティーで思い切りむせてしまった。
「杏奈…昨日ホントに私の話、聞いてた?」
「シツレーねー!聞いてたわよ」
「い……イチャついてた…なんて、一言も言ってない…」
…あながち間違ってるとも言い切れない…けど。
「言わなくたってバレバレ。言ったでしょ?付き合い長いんだから。電話越しでも声聞けば分かるわよ」
うわあ…杏奈、めちゃくちゃ楽しそうにニヤニヤしてる。
「それでなくても台風来てるのにずっと駅にいるなんて、アヤシーじゃん。まったく、あたしには早く帰れって言っといて〜」
「違うよ…ホントに誤解だってば…
ずっと前にさ、小学生の頃の話、したの…覚えてる?」
ふざけ半分だった彼女の顔が、真顔になる。
ずっと、家族以外には誰にも言わなかったけど、…杏奈だけには、打ち明けてた。私の痛い過去。
「……私の絵、ダメにした人…って、桐谷くんなんだ」
「…え…」
「私、彼が転入してきたときから気づいてた。言えなくて…ごめんね」
杏奈は首を横に振って
「ううん、そんなの気にしない。今、こうして言ってくれてるじゃん」
ニコってキレイな微笑み。
「それより咲は…桐谷くんのこと…」
「もう何とも思ってないよ。アレは過去。過ぎたことにこだわってるなんて、今が勿体ないもん。ずっとモヤモヤしてたけど、昨日…桐谷くんに全部話して、やっとそう思えたんだ」
「そ…か、咲…頑張ったね…」
杏奈は泣きそうな顔をして、私の頭をよしよしって撫でた。
どうして杏奈がそんなカオ、するの…?
「もー杏奈!泣きそうにならないで!これからカレとデートなんでしょ?目腫れちゃうよっ」
「…そんなヘマしませんー」
冗談交じりに茶化したら、杏奈、すぐに笑顔に戻ってくれた。
良かった。明るい彼女に泣き顔なんて、似合わない。
「あ…あとね……桐谷くんに…その、告白…されちゃって…」
「ハイ?」
ポカンって、杏奈、口を開けて固まった。
信じられない…って、顔に書いてある。
「咲は“香奈”だって打ち明けたんでしょ?それでも咲のこと、好きだって言ったの!?」
「……うん…」
「意味分かんない……なんでわざわざ過去にイヤガラセした女のこと…」
「だよね…」
「好きな子ほどイジメたくなるってのとは違うよねぇ…さすがに」
うん。私もそう思う。それにしちゃ、度が過ぎてる。
「そんな深刻にならなくても、私には全然そんな気、ないし…すぐ次の子に乗り換えると思うけどね」
私が男だったら…もっと明るくて、人気者で…愛嬌があって……そう、杏奈みたいな子がいい。
そういう子を好きになるもん。
「んー乗り換えるかなー?それはこれからのオタノシミよね……面白くなってきたぁ〜」
ふふふって笑って、杏奈はテンション上がってる。
「ちょ、面白がられても困るよー…」
「だーいじょーぶだって!大人しく、見守ってるだけだから。それに咲は、王子が好きなんでしょ?」
王子……佐藤先輩…。
「うん…」
やっぱり先輩が好き。
一緒にいたら、分かる。先輩は、私の性格とか、内面を見てくれてるって。
「もーニヤけちゃって。ま、あたしは王子と咲のこと応援したげるから」
頑張ってねって。
そう言い残して。
デートの時間に遅れちゃうって、杏奈は慌ててミンクを出て行った。
恋人のもとへ向かう彼女は、すごく幸せそうだった。