第3章1





 木製のドアがキィ…と小さく鳴った。いつもの窓際の席にはまだ誰もいない。

 杏奈のことだから、時間通りには来ないんだろうな。

 

「ミルクティーと…チーズスフレ、ください」

 相変わらず無口な、ミンクのマスターにオーダーを伝えた。

 もう待ち合わせ時間過ぎてるし…先に注文済ませていいよね。

 

 そう思ってたら、外からカツカツ…って急ぎ足のヒール音が聞こえた。

 

「ゴメンねー!咲、けっこう待った?」

「んーん、今来たとこだよ」

「さっすが!付き合い長いだけあるぅ。あたしのことよく分かってんじゃん」

「もー…調子イイこと言ってないで、遅れて来るクセ、直しなよ」

「あたしに直せると思う?」

「………」

 この調子じゃ、彼女が待ち合わせ時間に間に合うことは一生なさそうだ。

 

 

 体のラインがクッキリ出たミニのワンピース姿の杏奈は、さっさとオーダーを済ませ、単刀直入に切り出した。

 

「で、台風の中駅のホームで桐谷くんとイチャついてたって…どーいうこと?」

「…っな…!」

ワンピースが、杏奈の完璧なスタイルを引き立ててるなぁって、呑気に感心してた私。

ゴホゴホって飲んでたミルクティーで思い切りむせてしまった。

 

「杏奈…昨日ホントに私の話、聞いてた?」

「シツレーねー!聞いてたわよ」

「い……イチャついてた…なんて、一言も言ってない…」

 …あながち間違ってるとも言い切れない…けど。

「言わなくたってバレバレ。言ったでしょ?付き合い長いんだから。電話越しでも声聞けば分かるわよ」

 うわあ…杏奈、めちゃくちゃ楽しそうにニヤニヤしてる。

「それでなくても台風来てるのにずっと駅にいるなんて、アヤシーじゃん。まったく、あたしには早く帰れって言っといて〜」

 

 

「違うよ…ホントに誤解だってば…

ずっと前にさ、小学生の頃の話、したの…覚えてる?」

 

 ふざけ半分だった彼女の顔が、真顔になる。

 ずっと、家族以外には誰にも言わなかったけど、…杏奈だけには、打ち明けてた。私の痛い過去。

 

「……私の絵、ダメにした人…って、桐谷くんなんだ」

「…え…」

「私、彼が転入してきたときから気づいてた。言えなくて…ごめんね」

 

杏奈は首を横に振って

「ううん、そんなの気にしない。今、こうして言ってくれてるじゃん」

 ニコってキレイな微笑み。

「それより咲は…桐谷くんのこと…」

「もう何とも思ってないよ。アレは過去。過ぎたことにこだわってるなんて、今が勿体ないもん。ずっとモヤモヤしてたけど、昨日…桐谷くんに全部話して、やっとそう思えたんだ」

 

「そ…か、咲…頑張ったね…」

 

 杏奈は泣きそうな顔をして、私の頭をよしよしって撫でた。

 

 どうして杏奈がそんなカオ、するの…?

 

「もー杏奈!泣きそうにならないで!これからカレとデートなんでしょ?目腫れちゃうよっ」

「…そんなヘマしませんー」

 

 冗談交じりに茶化したら、杏奈、すぐに笑顔に戻ってくれた。

 良かった。明るい彼女に泣き顔なんて、似合わない。

 

 

「あ…あとね……桐谷くんに…その、告白…されちゃって…」

「ハイ?」

 ポカンって、杏奈、口を開けて固まった。

 信じられない…って、顔に書いてある。

 

「咲は“香奈”だって打ち明けたんでしょ?それでも咲のこと、好きだって言ったの!?」

「……うん…」

「意味分かんない……なんでわざわざ過去にイヤガラセした女のこと…」

「だよね…」

「好きな子ほどイジメたくなるってのとは違うよねぇ…さすがに」

 うん。私もそう思う。それにしちゃ、度が過ぎてる。

 

「そんな深刻にならなくても、私には全然そんな気、ないし…すぐ次の子に乗り換えると思うけどね」

 

 私が男だったら…もっと明るくて、人気者で…愛嬌があって……そう、杏奈みたいな子がいい。

 そういう子を好きになるもん。

 

「んー乗り換えるかなー?それはこれからのオタノシミよね……面白くなってきたぁ〜」

 ふふふって笑って、杏奈はテンション上がってる。

「ちょ、面白がられても困るよー…」

「だーいじょーぶだって!大人しく、見守ってるだけだから。それに咲は、王子が好きなんでしょ?」

 

 王子……佐藤先輩…。

 

「うん…」

 

 やっぱり先輩が好き。

 一緒にいたら、分かる。先輩は、私の性格とか、内面を見てくれてるって。

 

「もーニヤけちゃって。ま、あたしは王子と咲のこと応援したげるから」

 

頑張ってねって。

 

 そう言い残して。

デートの時間に遅れちゃうって、杏奈は慌ててミンクを出て行った。

 

恋人のもとへ向かう彼女は、すごく幸せそうだった。





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