第4章1

注:GL要素あり。ごく軽い表現ですが、閲覧は自己責任でお願いいたします。




モヤモヤした気持ちを抱えたまま、数日を過ごした。

 宿題をしようと机に向かっても、ケータイが気になって集中できない。

あれ以来、杏奈からの連絡はなかった。

 

 告白の返事、したのかな…。

 きっと、断ったんだよ…ね…。

 第一、杏奈には彼氏がいるのだ。

 まさか、私に内緒で付き合い始めたとか…ないよね…。

 うん、ないない。だって杏奈だよ?

 そんな卑怯なこと…する性格じゃない。

 

 悶々と渦を巻く思考は、次第にイライラを募らせていく。

 

「もーやだっ!」

 

制服に着替えて、軽く髪を整えた。

「ちょっと部活しに行ってくるね」

 キッチンにいたお母さんにそれだけ告げて、じりじりと日差しの照りつけるアスファルトを歩いた。

 絵を描けば、このモヤモヤも少しは紛れるかもしれない。

 

 美術部の夏休みの活動は任意。

 つまり、個人の自由。

 お盆休み以外は、極端に早朝だったり、深夜だったりしなければ、いつでも美術室を使えることになっていた。

 

 運動部の声が響く校庭の隅を通り、校舎の階段をあがる。

 たった数日空いただけなのに、目の前の美術室が、ちょっと懐かしい。

 

カラカラって鳴る扉も、久しぶりだ。

 

 中には先客がいた。

 予想していなかったわけじゃないけど、まさか夏休みに遭遇するなんて。

 

「久しぶり」

 穏やかなトーンの声と、涼しげな笑顔。

失恋相手だというのに、相変わらずその雰囲気には安心させられた。

「…お久しぶりです」

「絵を描きに来たの?」

「いえ、私物を持って帰るのを忘れちゃって」

 

 最初から、先輩がいたらそう言って帰るつもりでいた。

 今は、とてもじゃないけど一緒に絵なんて描けない。

 

 窓から外を眺めていた先輩が、ゆっくりとこっちを向く。

「この間のカラオケで…俺と西野さんの話、聞いてたよね」

 

想像だにしなかった先輩のセリフに、手に持っていた絵の具の箱を床に落としてしまった。

 先輩の笑顔には、確信の色が浮かんでいる。

 

「ど…して、それを…」

「あの日…咲ちゃん、彼女を残して先に帰ったでしょ?」

「……」

「西野さんが非常事態だったのに無事を確認せず先に帰るなんて、

普段の咲ちゃんなら…しないと思って」

 

 何もかも…見透かされている。

 こちらを射る強い視線に、そう感じた。

 きっと…私の先輩への想いも、バレてる。

 

 “西野さん”と杏奈のことを呼ぶ彼に、違和感を覚えた。

先輩が私といるときに、他の女の人の名前を出したことは、今までに一度もない。

 そんな事実に、こうなって初めて…気がついた。

 

 

「ふられたよ」

 

「…!」

「他に好きな人がいるから…って」

 窓に向き直り、先輩は静かなトーンで話す。

「それは…杏奈が…今、付き合ってる人のことですよね」

 半ば祈るような気持ちで絞り出した言葉に、目の前の人はゆるゆると首を横に振った。

 

「叶わない恋だけど、どうしようもない。想いを伝えることもできないけど、他の人を好きになることもできない……って、彼女はそう言ってた」

 

嘘でしょう?

 そんなこと、杏奈からは一言も聞いていない。

 私には、片思いをしている素振りすら…見せなかった。

 

「叶わない恋…って……」

 ショックで呆然とする脳を叱咤し、やっとそれだけ、訊いた。

 

「彼女が好きなのは、君だよ。咲ちゃん」

 

 

君だよ―――

 

 

 硬い声に、頭をガツンって殴られたような気がした。

 なに、それ……

 どういう……こと……

 先輩の目に、深い深い悲しみが宿る。

 

「俺がこんなことを言うのは、ルール違反だと思う。

……けど…こうでもしないと…君に、彼女の気持ちは一生届かないから…」

 

 先輩は、辛そうに掌で顔を覆う。

「分かってたんだ。彼女が俺を見ていないことも…」

「……」

「彼女の視線が追ってるのはいつも…咲ちゃんで、それがどういう感情なのかも…」

 

「うそ…でしょ…。だって…杏奈には彼氏がいて…」

 これから彼とデートなんだって、そう言った日はいつも、本当に嬉しそうだったのに。

「それは多分…気持ちをごまかすためだけの関係だよ」

 彼女から直接聞いたわけじゃないから、本当のところは分からないけどねって。

 先輩の悲しげに笑った目もとが、痛々しい。

 

 

「だから…彼女の…君への気持ちが嘘だなんて…冗談でも言わないでほしい」

 

 

 はっきりと言い放つ先輩から、杏奈のことを本当に好きなんだって、伝わってくる。

 先輩はいつも私のことを気に掛けてくれていた。

 帰るのが遅くなれば、必ず家まで送ってくれて。

 

 それは全部、杏奈のためだったんだ。

 私に何かあれば、他の誰でもない杏奈が悲しむから。

 先輩はいつだって杏奈だけを想っていたのに…。

 

 私は、全然…気付けなかった。

 

 

 それじゃ、気をつけて帰ってねって。

 放心状態の私を残して、先輩は部屋を出て行った。

 

杏奈が私のことを好き。

 それが友達としての“好き”ではないことくらい、さすがに理解している。

 

 でも、そうだとすれば…杏奈は今まで…

 どんな気持ちで私の恋を応援してくれてたんだろう。

 

 何も知らない私は、杏奈に先輩のことを好きだと打ち明けて、浮かれていた。

 きっと気付かない間に、杏奈のこと、すごく傷つけた。

 大切な親友を…他でもない私が…。

 

「…っ…う…」

 

流れる涙を拭うこともせず、私は嗚咽まじりに泣いた。

 昼下がりの明るい光が降り注いで、私を照らす。

 

 いつだって杏奈は、私の味方だった。

 4年前、この町に越してきて、椎名咲になって、初めてできた友達。

 

――アンタ、名前なんて言うの?

――椎名…咲……。

――サク…かあ!いい名前じゃん!もっと上向いて歩きなよ〜咲!ほらこっちちゃんと見て?あたし、西野杏奈っていうの。

 

 人と関わることが怖くて、外に出られなかった。

 初めて独りで外に出られるようになって、見つけたカフェ。

 おそるおそる踏み入れた店内の、窓際の席に、目の醒めるような美少女がいた。

 

 私がろくに話せないのもお構いなしに、杏奈はクルクルと表情を変え、遠慮も何もなしに接してきた。

 咲は暗い!そんなんじゃ友達できないわよー?って。

 

裏表のない子だと思った。

 面倒なことはキライで、面白いこと、楽しいことが大好き。

自分の感情に正直だけど、ちゃんと人のことも考えて行動できる。

 

――え?他人からどう見られているかが気になる?

――うん、どうしてもね。昔のトラウマかな…、少し怖いの。笑ってる人を見ても、本当はどうなのかなとか、無意識に考えちゃう…。

――……じゃ、こうしようよ。あたしは絶対、咲に嘘つかない!言いたいことは言う。ムカついたら、その場でケンカするから。それなら大丈夫でしょ?

 

 仲良くなって、思い切って打ち明けた私に、杏奈は約束してくれた。

 いつしか親にも言えないことを、彼女にだけは話せるようになっていた。

 

 

 杏奈に言えないことなんて私にはない。

 でも、杏奈は…そうじゃなかったんだ。





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