「ごめんなさい…」
桐谷くんに向かって頭を下げた。
「なんで椎名さんが謝るんだよ」
「だって…!」
困ったように苦笑する彼は、怒っている感じじゃない。
「俺がしたくてやったことだから、謝られても困る」
「………でも、ゴメン。…あの時、俺がやったって桐谷くんに言われて…
私、少しも疑わなかった」
「……」
「友達だったなら…そんなことあるわけないって…
……ちょっとでも考えるべきだったのに…」
目に見えるものばかりを真正面から鵜呑みにして、桐谷くんのことは少しも信じようとしなかった。
「あのタイミングで俺がやったって言えば…信じると思って言ったんだ」
「え……?」
悲しそうな、カオ。
昔を思い出しているのだろうか。
「あの日の前日、俺は香奈ちゃんのこと散々中傷したから」
「まさか……あれもわざと……」
「違う。あれは…不可抗力…ていうか…」
珍しく歯切れの悪い桐谷くんに、私の混乱は募るばかりだ。
でも、一つだけ分かること。
あの日のことは、彼にとっても思い出したくない過去だったんだ。
私を騙してでも、あの事件を…自分がやったことにしなければならなかった。
「分かった。もう全部話す。
俺の仕業じゃないって知られてんなら、もう隠してても意味ねえし。
被害者の椎名さんには…知る権利があるもんな…」
頭をひねる私を見かねたのか、彼は覚悟を決めたように言った。
「まず、本当の犯人が誰かは…知ってる?」
「う…ん」
ある程度は直くんが話してくれた。
私の絵にペンキをかけて、ダメにしたのは……他でもない直くん。
聞いたときは、鈍器で頭を殴られたみたいだった。
まさか、彼がそんなことするなんて。
響子さんに認められたこと、直くんは『見直した』って、褒めてくれたのに。
ショックだった。
私が絵を好きになるきっかけをくれた人。
心から尊敬…してた。大好きな人だった。
なのに―――
「…当時はどうしても、私のことが…許せなかったんだって……。
直くんは美術クラブの最年長で、みんなからも先生からも一目置かれてたから…」
どうして俺じゃなくて香奈ちゃんが選ばれるんだ。
毎日そればかり考えて、嫉妬で気が狂いそうだった。
私にそう打ち明ける直くんは、とても苦しそうで。
「どうしてあんなことをしてしまったのか、自分でも分からないって…言ってた。
気がついたら絵にペンキをぶちまけてた…って」
「……」
「直くんの家、お父さんが有名な画家なの。
だから直くんは、小さいころから…それこそ私なんかよりずっと昔から絵を描いてて…
親からの期待も大きかったみたい…」
「………」
「私が…苦しめてたんだ。私なんかの絵が選ばれちゃったから……
っタッ!」
突然おでこに激痛を感じて目線を上げる。
こ…このタイミングで…デコピン!?
憮然としている桐谷くん…怒ってる……?
「黙って聞いてれば私なんか、私なんかって…そんなに自分を下げて楽しいか?」
「…違うっ…!そんなつもりじゃ…」
「へぇ、じゃあどういうつもり?如月響子に選ばれたこと、荷が重いとでも思ってた?」
「……」
「出展が決まった日、すげー嬉しそうにしてた。なのに、なんで自信持たないの?
ずっと頑張ってたことが認められたのに」
そうだ…。
嬉しかった。すごく。
一気に世界が広がって、キラキラして見えた。
努力が報われるのがこんなに幸せなことなんだって、初めて知った。
桐谷くんは真剣に、でもどこか優しい表情で…私を見てる。
小学生だった頃…“大翔くん”もこんな風に、私を見守ってくれてたっけ。
「“直くん”もさ、ふっ切れたからわざわざ会いに来て話してくれたんだ。
自分の弱さと向き合えたってことだろ」
弱さ。
直くんの弱さが、私の絵をダメにした。
だけど、絵を失ったこと、後悔はしてない。
それをきっかけに得たものがたくさんあって、何より私自身が強くなれたから。
直くんにとっても、自分の弱さと対面する機会になったんだから。
今は…これで良かったんだって心から思えてる。
「じゃあ…桐谷くんは直くんを庇ったの…?」
放っておけば、遅かれ早かれ直くんが処分を受けることになったはず。
当時仲が良かった私に憎まれてまで、自分がやったなんてウソをついたのは―――
どうして?
「そろそろ出よ。歩きながら…話したい」
桐谷くんが、立ち上がる。
拒む理由もないので、私も後に続いた。