第5章6





「ごめんなさい…」

 桐谷くんに向かって頭を下げた。

「なんで椎名さんが謝るんだよ」

「だって…!」

 困ったように苦笑する彼は、怒っている感じじゃない。

「俺がしたくてやったことだから、謝られても困る」

 

「………でも、ゴメン。…あの時、俺がやったって桐谷くんに言われて…

私、少しも疑わなかった」

「……」

「友達だったなら…そんなことあるわけないって…

 ……ちょっとでも考えるべきだったのに…」

 目に見えるものばかりを真正面から鵜呑みにして、桐谷くんのことは少しも信じようとしなかった。

 

「あのタイミングで俺がやったって言えば…信じると思って言ったんだ」

「え……?」

 悲しそうな、カオ。

 昔を思い出しているのだろうか。

 

「あの日の前日、俺は香奈ちゃんのこと散々中傷したから」

「まさか……あれもわざと……」

「違う。あれは…不可抗力…ていうか…」

 

 珍しく歯切れの悪い桐谷くんに、私の混乱は募るばかりだ。

 でも、一つだけ分かること。

 あの日のことは、彼にとっても思い出したくない過去だったんだ。

 私を騙してでも、あの事件を…自分がやったことにしなければならなかった。

 

「分かった。もう全部話す。
 
 俺の仕業じゃないって知られてんなら、もう隠してても意味ねえし。

被害者の椎名さんには…知る権利があるもんな…」

 

 頭をひねる私を見かねたのか、彼は覚悟を決めたように言った。

 

「まず、本当の犯人が誰かは…知ってる?」

「う…ん」

ある程度は直くんが話してくれた。

私の絵にペンキをかけて、ダメにしたのは……他でもない直くん。

 

 聞いたときは、鈍器で頭を殴られたみたいだった。

 

 まさか、彼がそんなことするなんて。

 響子さんに認められたこと、直くんは『見直した』って、褒めてくれたのに。

 

 

 ショックだった。

私が絵を好きになるきっかけをくれた人。

心から尊敬…してた。大好きな人だった。

 

なのに―――

 

「…当時はどうしても、私のことが…許せなかったんだって……。

 直くんは美術クラブの最年長で、みんなからも先生からも一目置かれてたから…」

 

 どうして俺じゃなくて香奈ちゃんが選ばれるんだ。

 毎日そればかり考えて、嫉妬で気が狂いそうだった。

 

私にそう打ち明ける直くんは、とても苦しそうで。

 

「どうしてあんなことをしてしまったのか、自分でも分からないって…言ってた。

 気がついたら絵にペンキをぶちまけてた…って」

「……」

「直くんの家、お父さんが有名な画家なの。

だから直くんは、小さいころから…それこそ私なんかよりずっと昔から絵を描いてて…

親からの期待も大きかったみたい…」

「………」

「私が…苦しめてたんだ。私なんかの絵が選ばれちゃったから……

っタッ!」

 

 突然おでこに激痛を感じて目線を上げる。

 こ…このタイミングで…デコピン!?

 憮然としている桐谷くん…怒ってる……?

 

「黙って聞いてれば私なんか、私なんかって…そんなに自分を下げて楽しいか?」

「…違うっ…!そんなつもりじゃ…」

「へぇ、じゃあどういうつもり?如月響子に選ばれたこと、荷が重いとでも思ってた?」

「……」

 

「出展が決まった日、すげー嬉しそうにしてた。なのに、なんで自信持たないの?

 ずっと頑張ってたことが認められたのに」

 

 そうだ…。

 嬉しかった。すごく。

 一気に世界が広がって、キラキラして見えた。

 努力が報われるのがこんなに幸せなことなんだって、初めて知った。

 

 桐谷くんは真剣に、でもどこか優しい表情で…私を見てる。

 小学生だった頃…“大翔くん”もこんな風に、私を見守ってくれてたっけ。

 

「“直くん”もさ、ふっ切れたからわざわざ会いに来て話してくれたんだ。

 自分の弱さと向き合えたってことだろ」

 

弱さ。

 直くんの弱さが、私の絵をダメにした。

 だけど、絵を失ったこと、後悔はしてない。

それをきっかけに得たものがたくさんあって、何より私自身が強くなれたから。

 直くんにとっても、自分の弱さと対面する機会になったんだから。

 

 今は…これで良かったんだって心から思えてる。

 

 

「じゃあ…桐谷くんは直くんを庇ったの…?」

 放っておけば、遅かれ早かれ直くんが処分を受けることになったはず。

 当時仲が良かった私に憎まれてまで、自分がやったなんてウソをついたのは―――

 

 どうして?

 

「そろそろ出よ。歩きながら…話したい」

 桐谷くんが、立ち上がる。

 拒む理由もないので、私も後に続いた。





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