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 昼前の公園は、平日にも関わらず、子連れの主婦で賑わっていた。人に慣れているのだろう。ハトが地面を突きながらすぐそばを横切っていく。
 真冬でも、よく晴れた日はそれなりに暖かい。防寒をきちんとしていれば、公園のベンチは快適なスポットだった。


 空には飛行機雲が真っ直ぐに伸びている。ぼんやりとそれを眺めながら、私は先ほどの二人の会話を思い出していた。


 ――……久しぶり……、最近どう…。
 ――……ない。そっちは?
 ――特に何も。あの人、完全に………。


 周囲の雑音で会話は半分も聞き取れなかったが、二人の間に流れる空気は、お世辞にも和やかなものとは言いがたかった。
 見てはいけないものを見てしまったのかもしれない。気付かれる前にと、逃げるように店を出てきた。

 時間が余ったからといって遊びに行く気分でもない。しばらくフラフラと彷徨った末、結局近くの公園に落ち着いたのだった。


 奏斗くんと志乃は知り合いだった。一体いつから。
 偶然友達だったという可能性はなさそうだ。大学四年と高校ニ年が知り合うきっかけなんて、それこそ自分のようにピンチを助けられたとか、非日常的な事件でも起こらない限り、皆無のはず。

 考えれば考えるほど、嫌な予感は膨れ上がった。
 少なくとも、奏斗くんが私に何かを隠していることは間違いない。

 尾行なんてしなければよかった。
 何も知らずに彼のそばにいれば、ずっと幸せでいられたかもしれないのに。




「真奈ちゃん?」

 不意に聞こえた低い声に、私は驚いて顔を上げた。
 私をそんな風に呼ぶのは一人しかいない。見ると、予想通りの人物が、ダッフルコートにジーンズというラフな格好で立っていた。

「こんな時間にこんなとこでどうしたの?仕事休み?」
「はい…まあ…」
「晴れた日に公園でのんびりなんて、なかなか良い休日だね」
「はあ…不本意ですけど」

 拓海さんはクスクスと楽しげに笑っている。
 合わせて笑う余力もなかったので、私はぎこちなく口の端をあげた。

「奏斗と何かあったんだ」

 微笑んでいるのに目の奥がどことなく鋭い。台詞に疑問符がない、ということは見抜かれているのだろう。
 ギクリと肩を強張らせると、さらに畳み掛けられた。

「真奈ちゃん、嘘つけないタイプだよね。顔に書いてある。奏斗の怪しいとこでも目撃した?」
「……!どうして、それを…」
「何となく。そろそろ頃合いかなと思って」
「そろそろって…何がですか…?」

 拓海さんの雰囲気に、いつもの穏やかさはなかった。切れ長の瞳がさらに鋭く光る。

「こっちの話。その様子じゃやっぱり、アイツ何も話してないんだな」
「ちょ…待ってください!言ってることが全然…」
「一つヒントをあげようか」

 淡々と紡がれる声は、まるですべての感情が抜け落ちてしまったみたいに、平坦だった。

「俺はアイツの叔父じゃない」
「え…!?」
「本名は羽沢拓海。才木奏斗とは正真正銘、赤の他人だよ」

 赤の他人。だったらどうして頻繁に奏斗くんの様子を見に来ているのか。
 混乱した頭では、二人がどういう関係なのか見当もつかない。

「それじゃ、奏斗くんが孤児だっていうのも…」
「あ、それは本当。けど俺は一切面倒見てない。アイツの親になんて会ったこともないし、顔も知らないよ」
「じゃあ…奏斗くんはどうやって…」
「それはアイツに直接聞いて。あ、あともう一つ言っとくと、俺の仕事、飲食店経営じゃないんだ。嘘ついててゴメンね」


 待ち合わせに遅れたことを詫びるような軽い謝罪とともに、拓海さんはまたねと手を挙げた。ラフな後姿が遠ざかる。
 ポツンと一人取り残された私は、当然ながら全く事態についていけていない。

 拓海さんと奏斗くんが、他人同士。
 ならば彼は、今までどうやって生きてきたのだ。
 散々こじれさせておいてあっさり退散した拓海さんは、一体何者なんだろう。

 子どものはしゃぎ声を上の空で聞きながら、私はしばらくそこから動けなかった。







「わ、どうしたの?」
「あ…おかえり」

 エレベーターから降りた奏斗くんは、ドアの前で座り込む私に目を丸めた。

「びっくりした。会社早退したんだ?合鍵、作っとけばよかったね。いつも俺のが先だから必要ないかと思って」

 私を部屋の中へ促しつつ、彼はすまなそうな顔をした。

「ごめんね、寒かったっしょ」

 頭にぽん、と手が乗せられる。自分だって十分冷えているくせに先に人の心配。いつもとなんら変わらない奏斗くんだ。淹れてもらった熱い紅茶を一口啜ると、今日あったことがすべて夢だったのではないかと錯覚しそうになる。



「ねえ、今日…は、何してたの?」

 冷え切った身体が温まる前に訊ねた。時間が経てば、きっと切り出せなくなる。気のせいだったのだと思い込みたくなってしまうから。

「ん、急にどしたの?学校行ってたけど」
「ほ…他には…?」
「他?普通に授業受けて帰ってきただけだよ」

 ダメだ。やはり、自分から話してくれるつもりはないらしい。
 こくり、と唾を飲み込み、私は覚悟を決めた。



「安形志乃って子、知ってる…?」



 一瞬で空気が凍った。
 制服のネクタイを緩めていた奏斗くんの手が止まる。
 ここで負けたらこの先ずっと訊けない。私は胸の内のもやもやをすべて吐き出すように捲くし立てた。

「ごめん、奏斗くんのこと、尾けたの。どうして…遼介が浮気してた子と会ってたの?拓海さんから、親戚じゃないって聞いた。小さい時どんな生活してたの?…私、信用できないかなあ…?奏斗くんのことは、奏斗くんの口から聞きたいよ…!」

 いつも飄々としててつかみどころがなくて、余裕たっぷりの奏斗くんが、眉間に皺を寄せて俯いている。ただごとではない気配を感じて、ぎゅ、と握り締めた掌が震えた。たぶん私は、彼の、決して触れてはいけない部分に立ち入ってしまっている。


「拓海からどこまで聞いた?」

 奏斗くんが、痛ましい表情でこちらを流し見た。

「……奏斗くんが昔…孤児だったってことと、拓海さんとは他人だってこと。あと、拓海さんの仕事が飲食店経営っていうのは嘘だって…」
「そう。それだけじゃ何も分からないよな。………全部話すよ。最初から」

 奏斗くんがテレビを消したことで、室内が完全に無音になる。
 まだ空調はそれほど効いていない。にも関わらず、身体中から嫌な汗が噴きだした。

 永遠にも思える長い沈黙の後、奏斗くんは唐突に口を開いた。



「俺、真奈さんに酷いことした。本当に…ごめん」
「え……?」
「覚えてる?俺と初めて会った日のこと」
「うん、もちろん。会社に行く途中で痴漢にあって、奏斗くんが助けてくれて…そのまま二人でサボってテーマパークに行って…」
「それ、全部仕組まれたことなんだ」

 一瞬、脳がフリーズした。

「え…?…え、と、仕組まれた?…全部……?」
「俺が真奈さんと出会ってから今までのこと全部。正確にはそれよりずっと前から計画は遂行されてたんだけど」

 計画…?遂行…?
 一体彼は何の話をしているのだろう。


「意味分かんないよな。突然こんなこと言われても。でも、本当なんだ。真奈さんと瀬島遼介を別れさせて、二度と復縁させないようにする。拓海も俺も、安形志乃も、ずっとその目的のためだけに動いてた」


 今度こそ、本当にわけが分からなかった。

 私と、遼介を、別れさせる…?
 今、確かにそう聞こえた。
 遼介の苗字は奏斗くんには教えていなかったはずだ。それを知っていることが、彼の信じがたい発言に信憑性を持たせていた。


「真奈さんには俺、瀬島遼介には安形志乃。それぞれが標的に近づいて、最終的に仲を引き裂く。初めからそういうシナリオだったんだ」






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