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「引き裂く…シナリオ…?」

 つまり私と遼介は、奏斗くんや安形志乃や、拓海さんの手のひらの上で転がされていたということか。

「嘘…でしょう?だって…いくらなんでもそんなに都合良くいかないよ…。たった三人で恋人同士を別れさせるなんて…」

 なおも食い下がる私に、奏斗くんは悲しげに呟いた。

「確かに三人だけじゃ限界があるかもね。だけど、最初から組織単位で動いてたとしたら?」
「そしき…?」

 それは、高校生の口から出てくるには不自然すぎる言葉だった。
 違和感で溢れかえる頭を必死で動かし、私はなんとか現状を理解しようとした。

「電車での事件は偶然じゃない。俺だけじゃなく痴漢したヤツも組織の一員で、ほかにもあの車両には何人か仲間が乗ってた。俺と真奈さんの出会いは、最初からつくられたものだったんだよ。二回目に会ったのはレンタルビデオ屋だったよね。真奈さん、あの日会社の同僚から誘われてたでしょ?」

 木内さんだ。
 ご飯に行かないかと言われたけれど、疲れていたので断った。確かその時、ビデオ屋に寄るからと説明した気がする。

 彼女もグルだったんだ。


「痴漢から助け出されるっていうシチュエーションは、真奈さんの気持ちを俺に向かせやすくするための演出。女の人は誰しも、そういうドラマチックな状況に憧れを持ってるものなんだって。これ、発案は俺じゃなくて全部拓海」

 全く非日常的な説明に、理解が追いつかない。夢でもみているのだろうか。

「…待って……急にそんなこと言われても…。何?組織って…。どうして奏斗くんはそんな組織に入ってるの…?そもそも、別れさせるって何のために…?」
「うちの仕事は、言ってみればなんでも屋みたいなもんなんだ。法に触れなければ、基本的にはどんな依頼でも受ける。だけど、行方不明のペット探しとか、そういう次元の依頼はまず来ない。言ってる意味、分かる?」
「……なんとなく」

 彼の属している組織は、社会的にも真っ白とは言いがたいところなのだ。たぶん、限りなく黒に近いグレー。
 法に触れなければ――ということは殺人や窃盗など、明らかに違法なことは受け付けないのだろうが、今の彼の言い方から察するに、ギリギリのラインを綱渡りしていることは間違いない。


「客の八割くらいがリピーターで、大方の依頼は人間関係のいざこざからくる恨み妬みが原因。世の中には、思い通りにならないことなんてたくさんあるでしょ?それを金の力で何とかしようとする我儘な金持ちが、うちのお得意様」
「我儘な…金持ち……」

 私の頭の中に、ある人物が思い浮かんだ。
 遼介に恋心を抱き、私との仲を不満に思っていた人。

 ――持永風香。

 国会議員を親にもつ彼女なら、お金には不自由していないだろう。

「ねえ、依頼された仕事の進行状況って、依頼主には…」
「随時報告する決まりになってる」

 やっぱり。
 だから風香は、私と遼介が別れたことを知っていたんだ。
 本人たち以外は優実と奏斗くんしか知らないことを、どうやって嗅ぎつけたのか不思議だったけれど。
 彼女がその組織とやらに依頼したと考えれば、すべて説明がつく。


「奏斗くんが組織に入ったのは…」
「拓海だよ。アイツに誘われた。親に捨てられて、どこも頼るあてがなくて、だけどこんな見た目だから拾ってくれる人もそれなりにいて。色んな人の家を点々としてた頃に、声かけられたんだ。…オマエが必要だって」

 自虐的な笑みが、痛々しくゆがむ。

「成功しさえすれば報酬は決して安くないし、その容姿と人に媚売る才があれば、九割方うまくいくって」
「…そんな……」
「入ってまともなとこじゃないってのはすぐに分かったよ。けど、仕事を完璧にこなせば、少なくとも組織の人間にだけは、必要とされてるって実感できるから」
「それで、ずっとこんなことをしてきたの…?」
「…情けないよね」

 普通の人は、生まれながらにして親から無条件に愛される。その存在を欠いたまま、生きてきた奏斗くん。
 どんな形でも、自分の価値を確かめていないと不安で仕方がなかったはずだ。そして、拓海さんはそれを見抜いていた。


「ごめんね。って謝って許されるとは思ってないけど……真奈さんのことは、本気で好きだったよ」

 言いながら、奏斗くんは一度脱いだコートを羽織った。

「最初は本当に、仕事のターゲットっていう認識しかなかったんだ。真奈さん、会った当初から彼氏とそんなにうまくいってないみたいだったし、今回は楽勝だなって、正直高括ってた」

 だけど、甘かった。蓋開けたら真奈さんの頭の中には"遼介"しかいないんだもん、まいったよ。
 そう言って、少年は声を出さずに笑った。

「一緒に住んでてたまにしか顔合わさないなんて、赤の他人みたいなもんだよ。そんだけほったらかされてるのに、真奈さんはまるっきりアイツしか見てないし。俺といて楽しそうにしてても、毎日律儀に誰もいない家に帰ってくしさ。これは意外と長期戦になるかもって思い直したの、予想通りだったな」

 私は黙って彼の言葉を聴いていた。
 お試しとはいえ、仮にも付き合っている人に、信じがたい暴露話をされているというのに、妙に心は凪いでいた。
 初めてちゃんと、奏斗くんの本音を見た気がしていた。

「ずっと前にさ、真奈さん、彼女に依存されたらどう思うかって聞いたでしょ」
「え……うん」

 ぼんやりとだが覚えている。優実と飲みに行った帰り、珍しくお酒に酔っていた夜だった。

「俺が真奈さんに本気になったの、たぶんあの時から。この人は"遼介"がいないとダメになるんだろうなって思ったら、どうしようもなく欲しくなった。相手が俺だったらいいのにって。俺ならこんなに想ってくれる人を放っておいたりしないのにって」

 ぞくん、と肌が粟立った。
 欲しくなった…なんて、柄にもなく真剣な声で言わないでほしい。あの時はそんな素振り、微塵も見せなかったくせに。

 そのことを私がどれだけ歯痒く思ったか、知らないくせに。


「でももう、バイバイだね」
「え…?」
「真奈さんとは付き合えない。好きな人が大事にしてた恋をぶち壊して、お金までもらったんだから当然の報い」
「まって…!急にそんなこと…」
「バレたら身を引くって、好きになったときから決めてた。あの時の俺は、正直、真奈さんをめちゃくちゃに傷つけてでも別れさせてやるって思ってた。本当、サイテーだよ」
「違う!」

 自分でも驚くほど大きな声が出た。

「ほったらかされてても寂しくなかったのは、奏斗くんがいてくれたからなんだよ?仕事でも何でも、奏斗くんが私を好きでいてくれたのは事実でしょ!?私は…二人でいた時間、すっごく楽しかった……奏斗くんはそうじゃなかった…?」

 情けなく声が震えた。奏斗くんがいなくなると思ったら、どうしても怖かった。離れたくない。

「遼介と別れたのは、奏斗くんにそう仕向けられたからかもしれない。けど、これだけは信じて。私は、別れたこと…後悔してない」

 仕組まれたこととはいえ、私も遼介も、別の人に心が動いていたのは事実だ。あのままずるずる付き合っていても、きっと幸せにはなれなかった。
 分かっていて別れを切り出せなかったのは、自分を必要としてくれる人を失いたくなかったからだ。だから見ないフリをした。遼介の気持ちが離れていることは、とっくに気付いていたのに。

「ねえ…私も、好きだよ。もう…とっくに奏斗くんのこと、好きになってる」
「……え?」
「嘘じゃないよ。頭の中、ずっと奏斗くんのことばっかりで…私、奏斗くんがいてくれないとダメなの……だから…おねがい……っ」

 最後までは言わせてもらえなかった。
 肩を抱くように引き寄せられ、唇が合わさる。そのまま、二人でもつれるようにソファに倒れこんだ。
 手首を拘束する強い力に反して、壊れ物に触れるような優しい愛撫に、身体から力が抜ける。

「そんなこと言っていいの?あとで気が変わったって手の平返しても、逃がさないよ」

 最終警告だ。
 いたずらっぽい笑み。けれど、冗談ではないことは一目で分かった。
 もう、親が子にするような表情(かお)ではない。目の前にあるのは、研ぎ澄まされた男のそれ。
 ぞくぞくした。ずっと見たかった。彼の、こういう表情。

 んく、とねだるように喉がなった。
 肯定の意を伝えるため、一度だけ首を縦に振る。
 奏斗くんは、熱に浮かされたように熱い私の頬をそっと撫で、再び唇を合わせた。






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