09





 広々とした通路の両側に、ズラリと並ぶのはたくさんの専門店。
 まさか羽海とこういうとこに来るとはなーと感慨深そうにする凛に対し、当の本人は突っ立ったまま硬直している。

「これ、全部…服のお店なの?」
「さすがに全部じゃねえけど。ほとんどがそうだな」

 当然と言わんばかりの凛の答えを聞き、自分が今までいかに狭い世界で生きていたかを知った。
 経済格差とは恐ろしいものだ。
 自分には縁のないことだと、興味を持たず寄り付きもしなかった領域。
 駅ビルのCMを見たことはあったが、まさかこんなに広大だとは思わなかった。
 勤務先の婦人服売り場も大概だが、ここはそれを軽く上回る。
 
 端から見ていくか!と楽しそうな凛に連れられ、いくつか店をまわった。
 けれど――

「どの店も…高いんだね…」
「まあ羽海の持ってる服に比べればな」

 倍ほどの値段ならまだ安い方で、中には自分の持っている服と一桁以上値段の違うものもあった。
 購入に踏み切るには、相当な勇気を必要としそうだ。
 それに、あまりにもたくさんありすぎて、どれを買えばいいやら…さっぱり分からない。

「凛ちゃん、帰ろうか…」
「もういいのか?」
「十分だよ」
「まだ30分も経ってねえぜ?まあ、こっちはもう済ませたからいいけど」

 凛は、いつの間にやら贔屓の店の袋を手に持っている。相変わらず迅速果断だ。
 小さく溜め息をつけば、気遣わしげな様子の彼女と目が合った。

「何かあったのか?オマエが溜め息つくなんてそうそうないじゃん」
「ん…。何もないよ。ただ、お洒落はお金がかかるんだな…と」
「お洒落、したいと思ったんだ。さては恋したな?」

 恋…?私が?
 ニヤリと意味ありげに笑って声を潜める凛に、羽海はかぶりを振った。
 慎重に言葉を選び、複雑な心境を凛に伝えようと試みる。

「違うよ。見た目をキレイにしたいんじゃなくて……例えば今みたいに…凛ちゃんと私が一緒にいると、格好良い凛ちゃんのイメージが、私のせいで悪くなるかもしれないでしょう?」
「………はあ…」

 友人の、要領を得ない話しぶりに、凛は腕を組み眉間に皺をよせた。
 考え事をする時の彼女の癖だ。
 羽海は言葉を続けた。

「職場の…上司の方に指摘されて気付いたの。自分が良くても、周りの人が不快になるような格好をしちゃいけないって」
「………そういうことかよ」
 チッと舌打ちして、凛は言った。
「仮に羽海のせいであたしが他人から悪く見られたとして、それを気にすると思うか!?このあたしが!そんなん気にしてたらとっくの昔に友達やめてるっつーの!」
「違う!凛ちゃんがそういう人だとは思ってない!長い付き合いだもの、それは十分すぎるくらい分かってる!そうではなくて、もしそういうのを気にする人がいたら、私のせいで困らせてしまうかもってこと」

 声を荒げる凛。しかし羽海は怯むことなく自分の胸の内をぶつける。
 だてにずっと友達はやっていない。
 思い込んだら突っ走る彼女の性格は把握していた。
 早とちりに気付いた凛は、悪い、つい熱くなった。とバツが悪そうな顔だ。

「でもさ、オマエ昔はそんなん気にしてなかったじゃん?もしかして、最近誰か困らせでもした?」
「う…困らせては…いない…と思いたいけど」
 羽海は明らかに特定の状況を思い出している。それにピンときた凛は、またもや意味深な笑みを浮かべた。

「相手、蒼?」
「ど、どうして分かるの!?」
「誘われて、二人で出かけたとか?」
「……もしかして、蒼さんから聞いたの?」

 まるで一部始終を見ていたかのような凛の言葉。それに目を丸くして呆ける羽海は、何とも分かりやすく、そして扱いやすい。
 根が素直なため、カマをかければ面白いように真実を引き出せるのだ。
 高価な壷を買わされそうだなと凛は心中で気を揉んだ。

「外出先で、偶然職場のお偉いさんに会ってね。その…恋人同士だと勘違いされたの。蒼さんは気にしてないと言ってくれたけど…本当は嫌だったかもしれない」
「アイツはそういうの気にしねえと思うけどな」
「でも…あれ以来ジョギングに顔を見せてくださらないし」

 素顔を見せるのは少々憚られるので、その方が都合が良いと言えばそうなのだが。
 もう自分とは一緒にいたくないのだろうか。
 マイナスな思考ばかりが脳裏をちらつく。
 それにストップをかけたのは、黙りこむ羽海を観察していた友人だった。

「オマエ、蒼が好きなんだろ」
「は?」
「ウジウジ悩むなんてらしくねえ事してんのは…蒼が好きだからだろ?」
「私が…蒼さんを?」

 まさか、と言いたげな羽海に、間違いないと強く頷く凛。
 本人でさえ半信半疑なことをどうしてそんなに自信満々に肯定できるのか。
 それに、自分が蒼を好きになるなど…恐れ多すぎる。

「蒼さんは爽やかで、優しくて、良い人だよ。私が恋人では…つり合わない」
 それに、彼にそういう人がいないなんて保証はないでしょう、と。
 勢いで言ってしまってから、羽海はわずかに顔を歪めた。
 平静を装う声とは裏腹に、胸の奥がチクリと痛む。
 凛がそれを見逃すはずがなかった。

「やっぱりなー。羽海、自分の気持ちは否定しねえじゃん。つり合わないとか彼女もちかどうかとか、そんなん関係ねーよ!好きな気持ちはどう足掻いたって誤魔化せねえ。気付いたら落ちてんだよ」

 腰に手を当てて堂々と言い切る凛は、何と男前なのだろう。
 同性ながら、本気でそう思ってしまう。
 三日月形に細められた彼女の目は、わが子の成長を見守る母親のようだった。





 凛と別れ、アパートの最寄駅からの帰り道をゆっくりと歩く。

 蒼が好き。
 その感情は、一度認めてしまえば驚くほどあっさりと、羽海の胸中に落ちてきた。
 こんな気持ちになったことは、今だかつてない。

 素顔ではなく、少しでもキレイな自分を見せたい。
 彼のちょっとした言動が気になる。
 一緒にいられることは嬉しいのに、変に緊張する。

 今思えば、なんと分かりやすいことか。


 とはいえ、この気持ちを成就させたいとは思わない。
 好きな人が同じアパートに住んでいて、時々朝のひとときを共有できる。それだけで、十分すぎるほど幸せだった。

 大通りから狭い路地に入ると、すぐに見慣れた年代物の建物が見えてくる。
 蒼はもう帰っているだろうか。そう思い、2階の角部屋の方を見上げると。
 そこに、人影があった。
 蒼。と、もう一人。淡い色のワンピースに涼しげなボレロを羽織る後姿は、明らかに女性のもの。
 甲高い笑い声が、羽海の鼓膜を叩く。
 ベランダのような造りの廊下。胸のあたりまでしか壁がないため、蒼の部屋の前で談笑する二人が、はっきりと目に映った。

「ホント!?あたしあそこのケーキ大好きっ!ありがと、蒼」
「よく言うよ、自分で仕向けといて」
「あれえ?恩人にそんな口利いていーのかな?」
「…ハイハイ、悪かったって」

 蒼の爽やかな笑顔が、知らない女の人に向けられている。
 動かせなかった。足も、視線も。

「わざわざありがとな、そろそろ暗くなるから気ーつけて」
「えー駅まで送ってくれないの?」
「あのな…俺が今どんだけ切羽詰ってるか、分かってんだろ」
「はあい、また明日ねー」

 唇を尖らせ、しかし本気では怒っていない様子の女性と蒼が、連れ立って階段を下りてくる。
 羽海に気が付き、ペコリと控えめに頭を下げる彼女。それとほぼ同時に、ダークブラウンの瞳もこちらに向けられる。

「お、今帰り?」
 いつもと変わらない笑顔で、蒼が言った。





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